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いやぁ、言われてしまいましたなぁ...。確かに録音は初期デジカメのためメモリー不足もあり、継ぎ足しだらけで、音もよくありません。手ぶれもしてるし。 演奏が始まってからあわててカメラを取り出したりしたものですので...。 あと、確かにMirco
Patarini氏は18歳でチャンピオンになったし、その後も審査員の仕事も多く、業界の顔の一つですが、コンサートでは技巧をアクロバット的にこなして、さぁ、どうだ! といった感じがありますね。 まぁ、それでもお客さんに受けているところをみると、曲芸のような演奏でもそれはそれでEntertainmentとしてほめる人もいるということだと思います。まして、少しでもアコをやる人は、それがどれほど難しいかはちょっと聴けばすぐわかることですので、まいりました、ということにはなるのだと思います。 確かにアコーディオンという楽器が持つ、一般人から見ると不思議というか、かなり演奏方法がわけわからん楽器で、なおかつ、オーケストラのような演奏を、かなりの高速で弾かれれば、まいりました、いやー、ぶったまげたー、という具合になることが多いのではないかと思います。 で、以前ドイツの御喜美恵さんも言っていましたが、アコ弾きにはいくつかのパターンがあり、そのうちの一つが曲芸的な演奏をするタイプだとのことです。 ということは、ほかのタイプもあるということで、むしろ、こちらは、曲芸を披露するのではなく、むしろもっと音楽性というか、音楽そのものをアコという楽器を使って表現するという、ある意味では音楽の本来の姿で演奏するパターンなのだろうと思います。 もっとも、それはそれで、また別の分類がでてきて、原曲に忠実か、とか、独自性を出しているか、とか、アレンジが楽しいかとか、ジャズっているか、とか、アドリブが効いているか、などなど、音楽を愉しむ、あるいは評価する上での、さまざまな視点が喚起されるようになるのでしょう。 で、その中でも、好きな音、嫌いな音、好きな演奏方法や気に入らない演奏法があり、どんどんと個人の好き嫌いの基準に近付いて行く。 もっと、そこに目を凝らすと、本当に自分に好きな音、演奏方法、曲、は何なのか? なぜそれが好きなのか? いつ、どの時点からそれが好きで、あるいは好きだったけど、今は変わっちゃったのか、などなどと個人の好き嫌いの方向への論議に向かうのでしょう。 Mirco
Patarini氏を紹介したかったのは、彼は現在Scandalli Super
VIを製造するメーカー、Suoni社の取締役であり、品質管理部長であり、開発部長でもあるという立場から、Settimio Soprani Artist
VIに源流をもつScandalli Super
VIを現在もどのようにして原型に近づけるか、あるいはその伝統からどのように新しいアコーディオンを開発するかという思いで日々アコと触れている人だということを紹介したかったのです。
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