BacK Number 365


Settimio Soprani Artist VI

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月15日(月)23時04分41秒
  アコーディオンの生き字引、カブトガキさんの情報からもいかにすごい楽器だったのかがわかります、というか、突拍子も無く素晴らしアコだったようですね。 そんな素晴らしい、アコーディオンのロールス・ロイスとも言われるアコがどうしてもう製造できないようになてしまったのだろうか? やはり、今はBugari Armandoで調律をしている鉄人Aldoが昔を懐かしがるように、当時のScandalliはSuper VIの調律には2週間かけたという話なのです。 それは最高のリードを入れるのはもちろんですが、一度調律し、弾き込み、寝かせ、翌日また再調律し、弾き込み、寝かせ、という今では気の遠くなるようなプロセスで製造していたらしいのです。 今ではBugari Armandoといえどもなかなかそこまでは時間をくれないとぼやいていました。 もっとも、もっとひどいところはある(どのメーカーとは言っていましたが、ここでは言いません)らしいのですが。 これでは輸入して到着したら音が違っていても不思議ではありません。 もっとも、カブトガニさんがご購入になった45万円というのもほとんど家が建つぐらいのお金だったのでしょうね? それほどの金額になったアコをどれほどの人が購入できるかといえば、それはおのずと少ないことはわかりますよね。 今のHohner Golaでさえ、定価で400万円前後するとの話ですので、それが大量には売れないわけですね。 そうなると本当につくりが良くて、品質が良くて、価格が良心的というか、手の届くところにセットしてくれて、となると、だいたいどのあたりのメーカーのどのモデルかなどが、おぼろげながら見えてきます。
で、P探偵はそんなSettimio Soprani Artist VIを持っていたわけですね! それもすごい。
 

セッチミオ・ソプラニー

 投稿者:カブトガニ  投稿日:2010年 2月15日(月)20時35分58秒
  私がセッチミオ・ソプラニー・アーチスト・シックスを手に入れたのはディック・コンチノのLPを聞いてこの音にしびれ、昭和28年ころ確か45万円で購入しました、セッチミオ・ソプラニー・アーチストとマランドが使っていたスキャンダリー・アーチストはまったく同じもので、すかし(右のカバー)のデザインが違うだけした。
このアーチスト・セブン40年ほど使用しましたがリードが折れたのはH一枚だけ、PPPからfffまで空気漏れも無く思い通りの音が出ました、その後使ったゴラ5列185フリー・ベースと比べても引けをとらない名器でした。
今はアーチスト・シックスもゴラも昔の名器の面影は有りません。
 

Wow!

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月15日(月)09時45分59秒
  P探偵もっと素直なりしころの作曲の"Prospects"といい、Scandalli Supver VIでの演奏といい、Wow! です。 Bravo!!! Aplause!!! この女性歌手もなかなかすばらしい。 これをアレンジした208236さんにも座布団3枚!
1900年代に家族の協力を得てスタートしたCamerano村のSilvio Scandalliの家族経営のアコーディオン工房のScandalliは1915年から1921年の間に従業員700名を超える大メーカーへと変身した。
一方1863年にスタートしたPaolo Sopraniはそれ以前から大メーカーへと変身していたが、弟のSettimio Sopraniが独立して、こちらも今回紹介されたArtist VIなどで世界的に有名になっていた。 1945年にScandalliとSettimio Sopraniが合併してFARFISA社となり、日産180台を超える世界最大のアコメーカーとなるが、アメリカのアコブームが去り、メインのアメリカの資本ボンテンピ社もおもちゃビジネスに戻ることになり、その後、SEMとの合併その他が続き、現在のSuoni社がこのSettimio Soprani Artist VIをベースに有名になったScandalli Super VIを製造している。 しかし昔のScandalli Super VIと同じ品質のものを現在作ることは非常に難しいと同社の取締役も述べているように、昔は手間暇をかけて良い材料で作っていたということがあるようだ。 現在はBugari Armandoで調律をしている熟練工のAldoはかつてScandalli Super VIの調律を長年務めた熟練だが、当時は一台のSuper VIを調律するのに2週間かけたとのことだった。 現在は30分もかけられないという。 どれだけ良い物を作ろうかという気風だったことがしのばれる。
確かにScandalli Super VIのリードだけをとってみても一人の老練のリード技師がまったくの手作りで作っており、月産能力も限界があるようだ。 プロが毎日3−4時間以上弾いて、半年以上たたないとちゃんとした音にならないほど剛性の高い鋼を使用している。 当方の手元にあるScandalli Super VI(新品)はまだまだ音が本式に出ていません。 いつか手に入れたSuper VIはすでにリードがなじんでいて、それはそれはすごい音色でした。 お買い求めいただいた方は大変ご満足でした。 もちろんそんな音色はめったに出会えるわけではなく、AlexaちゃんのScandalliはPolyfonicoシリーズというポピュラータイプだと思われます。 良い音ですが、もちろんScandalli Super VI ないしSettimio Soprani Artist VIとは比べられません。 Settimio Sopraniはリード一枚でも表現力豊か。 バルカンの人たちの心をわしづかみにしています。 複数リードで弾けば、ダイナミックかつおいしい味が全身に襲ってくる感じ。 いまどきSettimio Artist VIを持っている人は宝物だと思います。
Tomica Miljic - Kola
http://www.youtube.com/watch?v=n1VKyqxq99c&feature=related

Dragan Stojkovic Bosanac
http://www.youtube.com/watch?v=OMse5fGSgyo&feature=related

Dragan Stojkovic Bosanac i Ljubisa Pavkovic - Povodjansko Kolo
http://www.youtube.com/watch?v=bGioWmfPN4E&feature=related

名手Dragan Stojkovicの演奏も心憎い。 彼の素晴らしい若い時の映像が消されてしまって残念だ。
 

scandalli super VI の音だ!

 投稿者:ppp  投稿日:2010年 2月15日(月)05時00分3秒
  いや、もとをただせばセッティミーオソプラーニアルティストセストのおとだ!

今日は昼からどういうわけか、tachinonnさんや、208236さんや、川井氏のゆってることかんがえてるうちにセッティミーオソプラーニアルティストセストのことおもいだして、じぶんがscandalli super VIもってたときのこと、おもいだして、その時の録音探しまくって、とんでもないことになってました。
僕は、整理整頓ゼロの男なんです。だから、ほんのちょっと前の録音さがすのも、かなりくろうします、譜面類も、もう、みあたらないものもおおい。

さて、岡本太郎氏の、貴重なことばは、それとして、pくんも、今から、名言ゆーぞ!

『セッティミーオソプラーニアルティストセストの音聴かずして、アコーディオンの音色かたるべからず!』

どうだ?!

このおときいたら、ざんねんながら、アレクサちゃんのひいてる、MMずらしじゃあ、どうにもならんことが、わかります。

ここまでユーp君は、やっぱり、それなりに、追求し続けてる男で、

例えば、今の日本の若い連中が、目覚めたみたいに、アコーディオンでやろうとしてることなんて、pくんは、もう、はるかむかしに、やっとるのだ!

これは、その一例
http://www.youtube.com/watch?v=1LGmXx7HaZA
これは80年代の録音で、カセットテープです。
まあ、ここで、こう書いても、うさんくさいことばっかりかいてるp君の音楽にどれだけの人が、興味もつかは、わからんが、なんどもかいてるように、無視するのは自由だ。しかし、それは、閉ざされたあなたの心を、さらにとざすことになるのだ!

ほいで、そうじゃあなくって、今回、紹介するのは、
その、やっとみつけた、scandalli super VIでの、録音。しかも今となっては、全然やってない、アコーディオン独奏の、p君の曲だぞ!
芸術は毒なのだ!の、岡本太郎氏は、まあそれでいいとして、pくんもそれなりに、ものすごいことになってるのだ。95年の録音です。DATだぞ!いまどきこんなことばあるんかなあ?しかも、当時もっのすごいタイトルつけてます。

momento infinito/永遠の瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=O5PaFQLU7iA

とりあえず、これで、みんな、セッティミーオソプラーニアルティストセストが、どんなもんであったか、ちょっとでも、わかったらええかとおもいます。

そしてみなさんからのいんねん、まってます。
 

交換リードブロック

 投稿者:ZEN  投稿日:2010年 2月14日(日)20時34分21秒
  以前、440Hzか442Hzかという楽器の基準音(ピッチ)が話題になったことがありましたが、ふつうは容易にチューニングできないアコーデオンに他の楽器が合わせてくれるのだと思いますが、アコーデオンも同じ楽器でピッチの違う2種類の交換できるリードブロックを持っていて、合奏などの必要に応じて交換できると便利ですね。  

HMML<−>MMML切り替え

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月14日(日)20時25分46秒
  以前一度だけ、HMMLのアコでリードブロックのHを予備のMに交換できるモデルを扱ったことがありました。 後から改造するのはリードのサイズなどが異なるので、簡単ではありませんが、事前にそのように発注すればそのように作ってくれるメーカーはあるのだと思います。 一台でHMMLやMMMLのマシンに切り替えて使えるというのは魅力的のような気がしますが、毎回蛇腹をあけて、中のリードブロックを取り出すという手間がちょっと大変ですね。 それが御嫌な方は5リードモデルで音の組合せを自由に決めて発注時にそのように依頼すればできてくるものだと思います。ただ5リードになると1笛分、重量も増えます。  

MM

 投稿者:tachinon  投稿日:2010年 2月14日(日)19時24分59秒
   川合様、早速のお答えありがとうございます。そうなんですね。全くピッチが一致したとしても「位相のずれ」というものもありましたね。忘れていました。
 そういえば、30年位前電子オルガンの(たしか松下)広告で(詳しくは覚えていないのですが、)位相ずらし的な操作で音を豊かにするという内容のふれこみがあって、(電子コーラスだったっけかな?)早速うちのエレクトーンについているカセツトにある音録音して、カセツトを再生しながらその音(単音)を鳴らすと、サンプリング技術のなかった当時の電子オルガンの未熟な音が少し豊かになった記憶を思い出しました。
 P様の、お話、「なーるほど」ですね。建物の造りも違うんですよね。同じ風景をカラーフィルムで撮影して、夏と冬と春と秋で色が違うのと似たような感じですね。上手く口ではいえないけれど、そういう環境的な背景もあるのですね。
「HMMMLの音色の濁りをなくすため、MMMのフラットという選択をなされた」というところも、なんとなく少しだけ理解できたような気がします。
 リードボックスを交換するという発想・・・この前初めてアコの蛇腹の中を見ましたが、リードボックスが独立しているためにユニット交換も可能な場合もあるのですね。もしかして、普通はMMLだけど、MMMにも出来るアコなんて(頭の中では)考えられるんですね。それにしてもこの掲示板は本当にためになります。川井さまいつもありがとうございます。
 

いや、だから、

 投稿者:pppのpくん  投稿日:2010年 2月14日(日)16時08分23秒
  P探偵が「毒」じゃあなくって、故、岡本太郎氏の発言なのですが。。。
とりあえず、MMMフラットのはなし、します。以前にもチラッとかいたことありますが、はっきしゆって、たしかに調律は、3つのM、全て、かぎりなくほぼおんなし音程です。これは、別々におと聞いてみたら分かる。(とゆっても、今、切り替えスイッチあらへんから別々に、きいてみることでけへんのですが)しかし、川井氏のゆーように、tachinonさんが、経験したごとく物理的に3つの別々のリード(おしひきかんがえたら6こか)が、鳴るんで、シンクロは、不可能、、位相は、ずれて、独特のうねりがあります。
もともと、p君号の3本目の、ちゃんバー、はいってないぶんの、いちれつのMは、ずらしはいってました。それを、ぜんぶフラットにしてしまった、根本的な、原因は、MMフラットのときのさらなる鋭さがほしいため、さらにLMMMHの時の、音の濁りが、じゃまだった、ということになります。

ずれてないと、たしかに騒音だらけの橋の上は、ずらしに比べて、はるかに聞こえにくい小さい音に、きこえます。だから、橋の上では、ものすごい力で、演奏せんことには、きこえるおとにはなってこないです。おかげで、この前、日本いったとき、バイエルンカペレ大阪のメンバーすべてにゆわれたんですが、p君号はものすごい、大きな音出る、とゆーことで、全てのリードが、もっのすごく、やわらかくなってるはずです。

MMずらしの方が雑音の中でも、確かに、聞こえやすい音ではあるけど、
それは、p君てきにユーと、雑音の中で、さらに雑音まぎわの音だしとる、とゆーことになり、果たしてそれは、通行人にとって、あるいは、立ち止まってずーっときいてくれてるひとにとって、聞きやすい音色か?とゆーことになると、経験上、やっぱり、ずらさないで、フラットチューニングの方が、有利だと、おもいます。聞こえにくいけど、逆に、その分、耳を澄まして、注意させてしまう音なのです。その代わり、ものすごいパワーがいるのです。

さて、そしたら、いったいどこで、p君号のMMMフラットは最大の威力を発揮するかという
と、
そもそもピジーニの製品は、わりと、どれとっても、うすっぺらいおとで、芯のふとさにかける、どちらかというと、室内演奏むきの音なんですが、
ここでは、レストランや、ホテルの、床は、たいがい大理石で、壁も、硬い素材です。もっのすごく響きます。たまーに、そういうとこいくと、p君号のMMMフラットは、ごく少ない力でどのアコーディオンも持ってない、独特なうつくしいMの音色が響きます。

こんど、6がつ29日に、きょねんは、つごうつけへんで、よーいけへんかったんで、(電車賃の都合がつかなかったぐらいびんぼうやったんです、航空ちけっと、2りぶんこうたし)今年は、調律に、ピジーニいくことになってます、予約してます。なんせ、いつものように調律してもろて、その日のうちに、p君号もろとも、ローマにかえってこなあかんから、工場のスタッフが、何人もかかって、いっきにやってもらわんとあかんので、予約いれとかなあかんのです。
今回予約の時に、前もって、ずらしMも、一列、つくってもらっといて、交換式にしたい、と、はなししてみましたが、p君号は、いつもの生産してるやつと違った、特殊なリードの入れ方してるんで、形が、あけてみてみんとわからんから、まえもってリード一列つくるのは、無理だから、当日きてそのひにもってかえるのでは、むりだと、とゆわれました。とりあえず、いったとき、調律にくわえて、ずらしの一列を、後日、おくってもらえるように、はなししてみるつもりです。
 

芸術は毒か?

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月14日(日)11時15分46秒
  これは多分に的を得た表現だと思います。 毒で無い芸術というものがあるとすれば、それは、現状を肯定し、変化を拒否し、これまでのものを守ろう、変化することをできるだけやめようという、先輩や先生の言うことを良く聞いて、それ以外のことにチャレンジすることをやめよう、そうでなくても、先生の技術に追いつき、その路線を踏み外さずに追い越す、それも先生に認められつつ追い越す、というような、いわば形から始まり、形に終わるというようなものを想定します。 茶道や、着物の着付け、いけばな、書道、など家元制度という名前のねずみ講のようなものを意識してしまいます。 古くはナチスドイツのベルリンオリンピックの「美の祭典」や共産主義崇拝華やかなりしころのプロレタリアート芸術、組合でアコの伴奏でロシア民謡などを盛んに歌った昔も、結局どこかで政治に翻弄されていた部分もあるのですね。 当時はナチの時代に毒とみなされたプロレタリアート芸術をほめることが、反体制だとプロパガンダされ、それを疑うことさえ日和見とされ、過激派は浅間山荘でついえたり、よど号ハイジャックまでしでかした。 それが世界を変えることになるとおそらく信じて、多分少なくともはじめのうちは。 逆にチャップリンは赤狩りにあいハリウッドを追放された。 ワイマール憲法下のドイツに聞こえてきた軍靴の行進音をからナチスの台頭を予感したカフカは毒のある退廃芸術として退けられた。 クリムトの絵しかり、Oskar Kokoschka、Georg Groszなどもすべて時代の毒として退けられたものだ。 1950年代後半のElvis Presleyは腰振りプレスリーとも冷やかされ、テレビでは中学生・高校生の不良化の促進につながるので、腰を振るなと言われ、小指だけを振ったと本人が言っている。 彼も、時代の毒だった時代がある。 いかれた太陽の季節の若者の象徴がいまや都知事である。 時代を越えようとすれば必ず抵抗がある。 なにも変えたくないという大衆や政治家や事業化がいる。 その抵抗は実害や被害、命まで落とす危険さえある。 それでも、自らの信念を曲げずに既存のものに満足せず、新しいものにチャレンジするものこそ真の芸術家だ、という認識は私にもあります。 あるいはそれを芸術家という呼び方をするので、誤解を産むのかも知れない。 アーチストと呼ばれる必要も無い、というレベルからスタートしてくれるとありがたい。 アーチストという勲章が欲しいという根性さえ捨てたところからは芸術とは何かという論争自体が消滅してしまうはずだ。 届かぬ星に手を差し伸べる、理想に向かって走る、その生きざま自体が生きるということの証なのだと思うのです。 生成変化していくものそのこと自体が人生であり、真実なのだ、ということは答えがありませんという意味になってしまいますが、そんな定義付けに時間を取られて人生を無駄に過ごす前に、少しでもアコーディオンの練習をしよう。 あ、急に、終息。  

芸術かMMか?

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月14日(日)10時43分15秒
  P探偵の「毒」発言に腕まくりをして、さぁ出番だ、と、はやる心を抑えつつ、腹が減っては戦はできぬ、と、まずは朝ごはん、を食べている間にtachinonさんのMMの話題が勃発。MとM'が完全に一致確かにトレモロは無くなり、無機的な音が鳴っている感じがしますね。それも、確かにシングルリードの鳴りともまたちょっと異なる感じもしますし、トレモロの時よりも音量が少なく聞こえるかもしれませんね。 これは新ためて検証する必要があるのかもしれませんが、人の耳には2枚のリードが同じ周波数で震えている場合よりも、位相をずらして振動させ、うねり(トレモロ)を発生させたほうが大きく聞こえるというのは、面白い事実ですね。 理屈から言えばトレモロとは周波数の位相がずれているので、周波数があった時は高く聞こえるが、音の干渉で消しあっているときは低く聞こえるので、トータルではトレモロが無いほうがむしろ音のレベルは高くても不思議は無いとおもうのですが、それが低く聞こえるというのは場合によっては、リードの振動数自体は同じである場合でも、振動する周期が逆だったり、まったく同時に前後に振れていない場合にはそこで、たがいに音を消しあってしまうということが起こっているのだろうか? という疑問にぶつかりました。 実は最近友人に連れられて電気店で周囲のノイズを90%以上カットするヘッドホンという製品があることを知りました。 耳をしっかりと包みこみ外の音をカットするのではなく、周囲の音の反対の周波数を逆に発生させて周波数を相殺して、ノイズをカットするという技術なのだそうだ。 もしかして、これが2枚の同じ周波数のリードにおいて起きているとすると、シングルリードともいえない、ボリュームがあるとも思えない妙な音というものが出現するのかもしれないという考えに至りました。 もっとも、この音の相殺ということと別に、トレモロをすることで、音量に低いところと高いところが発生した場合に人間の耳は高いほうの音をより多く認識し、低いほうの音を認識しない、あるいは、低い音があることで、高い音のほうをより多く認識するというようにできているのかもしれないという発想に至りました。 その理由として、実は私の本業である看板などを照明する大型ランプの例があり、この場合は光の分配のムラ、つまり、明るいところと、暗いところが出来てしまうわけですが、一方で同じ光量でもムラの少ないほうのランプのほうを明るいと感じ、ムラのあるほうのランプのほうを、たとえ光量は同じでも、暗く感じてしまうのです。 人間の目は暗いほうに基準を持って行ってしまうようなのですが、耳の場合は、低い音量よりも、それに対して、高い音量があるということでよりよく聞こえてしまうということがあるのかも知れない。 というのは、ある別のところで、聞いた話として、ミュゼット風の音色という言葉がよく出てきますね。 アコで言えばトレモロがきつい音色で、10秒間に40回以上のトレモロがあるような音色のことですが、これはレストランなどで、食器とナイフ・フォークがぶつかる音、客がボーイを呼ぶ声、話し声、笑い声、などがありながら、そんな雑音の中でも音が通り、ダンスをする人や聞いている人に音楽が届くようにということでそのようなチューニングがされているようなのです。 ということは、不協和音ぎりぎりまで、周波数をずらし、一人で聴くには耳が痛い、というほどのトレモロは雑踏やマイクも無い屋外などでは威力を発揮するということにつながるのだろうと思われます。 そこで、急に皆既月食のようなM=M'のような音色でM+M’をやっても誰にも聞こえないということになりかねませんね。 P探偵のMM’M’’はどのような位相のずらし方をしているのでしょうか? この機会に教えていただくと、橋の上で鳴らすにはどのようなはずし方がいいのかの参考になるかもしれませんね。 もっとも、ここでもリードそのもののパワーというか品質の差は歴然としており、特にトレモロをとっちゃった後はリードの音色が裸で出てきますので、良いリードか、そこそこリードかの差が見えやすくなっちゃいます。 ちなみに、お高いアコの調律はほとんどがトレモロを抑えたフラット、ないしドライに近いスウィングかアメリカンという味付けがほとんどで、逆にミュゼットアコでハンドメードリードを使う例は稀です。 ハンドメードリードにする意味があまり無いという言い方を良くされます。 トレモロが前面にでてくるので、リード本来の味わいがあまりできないと同時にそこそこのリードでもトレモロをきつくすれば音が通ってしまう、つまり、ある程度良く聞こえてしまうということがあります。 であればわざわざ高いリードを使う必要も無いということになります。
さて、tachinonさんのC#のリードですが、まずは埃の影響が考えられますので、リードを削る前にまずは良くクリーニングしてみてください。 その前にまず、MがずれたのかM’がずれたのかを再度確認する必要があります。 それも押すほうか、引くほうかを間違いなく確認して、どちらのリードがずれたのかの場所の確認をまず行い、その狂ったリードについてつまようじなどでびんびんと震わせてみたり、リードブロックをはずして、あまり長時間はお勧めできませんが、ハモニカのように口で吹いたりすすったりすることでゴミが飛ばされる場合があります。 ただし、この場合、吹くときにはリードに息の湯気がつき、リードが濡れてしまいますので、結露となった水分は必ずふき取ってください。 また、吸う場合にはゴミも肺に吸い込むリスクもありますので、この辺は覚悟を決めてやってください。 普通のリードブロックにはアスベストは使用されてはいませんが、金属片などを吸い込まないように。 押しが調子悪いということはリードブロックを吸わないと鳴りませんが、リードは外側ですので、吸うのはやめてつまようじなどでびんびんと鳴らしてみてください。 それでもだめなら、音が低くなっているようであればリードの頭を削ることになりますし、音が高くなっていたとするとリードの根の部分を削ることになります。 いろいろと細かい注意事項もありますので、調律は経験のある方にやっていただいたほうがいいと思いますが、ご自身でやる場合はいろいろな情報をあつめて注意してやりましょう。 あと、何度やっても音が下がってくる場合などはすでにリードの金属疲労が限界に来たということも十分あります。 この場合はリードの交換が必要となります。 芸術は毒の話はのちほど。