BacK Number 364


MMが完全一致すると?

 投稿者:tachinon  投稿日:2010年 2月14日(日)08時57分10秒
   ほぼ毎日ROM、ごくたまに書込み するTachinonです。
 208236さんの紹介された映像、私もお気に入りに登録してました。
 さて、先日、私のアコーディオンC#の音が変だったので、ゴミでも詰まっているのかなぁと思い、一寸パラしてリードの掃除をしました。
 真ん中のC#の音が「引き」はちゃんとトレモロになるのに「押し」がシングルの音しか出なくなっていました。でも何の異常も見つかりません。
「もしかして、・・」鍵盤側の蓋を外してスイッチでなく、直接操作してそのMとM’をべ別々に出してみたら「どちらも音が出る。・・・・!」つまりそのC#の音のMMのピッチが「完全に一致してしまった」のでした。・・これは奇跡! もしかして宝くじを買ったら一億円当たるのではないか?なんて思ったしだいです。
 しかし、聞いていると完全に一致したMMってのはリード1枚の音の渋さもMMの華やかさというか、やわらかい感じも無く、不思議な感じですね。音もトレモロの付いた隣の音に比べ、「一寸音量が足りない」感じもします。そういう意味でもしかして、P様のMMMフラットというのも、完全に一致ではなく限りなく一致だけどわずかに違う・・・のかなぁ・・・と思った次第です。
 実際の調律では、すべてのリードを完璧に同じにすることは至難の業なのでしょうから、トレモロのピッチを、それこそ、「2秒に1回」とか「3秒に1回」という分数のレベルでずらしているのかなあ・・・と思うのですが、前にもこのテーマの話題が出ましたが、川井様このへんのところ、如何なものなのでしょうか。
 話を芸術からメカのほうに持っていってすみません。
 

芸術は、毒なのだ!

 投稿者:きょうはしんどいpです。  投稿日:2010年 2月14日(日)06時35分8秒
  芸術は、毒なのだ!、、、、いけすかん暴言の相次ぐpくんですが、これはざんねんながら、ぼくのことばじゃあない、故、岡本太郎氏の大切な発言だ。

ぼくは、208236さんのアレクサちゃんの演奏にこころうたれるもはよくわかる。
川井氏がKlapa Maslinaの演奏に涙するのも、よmagic and ecstacyくわかる。もちろん、川井氏がmagic and ecstacyにどとききたくないのもよくわかる。

そしてしかし、岡本太郎氏、追求し続けた男、彼は、きれい、うつくしい、こころなごむ、彼にとってこんな安っぽい印象では、決して、真の芸術性は、解決されない、と、悟り、空極のインパクトを、もとめつづけた、このことばも、よくわかるし、確かにそれは、自分にもっともちかいだろうと、おもう。

さいていたとえば、このアレクサちゃんの演奏になるためには、MMの、このいいかんじのずらしが必要だし、208236さん含む、多くの、強烈なアコーディオンマニアの、求める音色の根源を、あからさまにした、彼女の演奏がここにあるんだと思う。


しかし、世の中には、あえて、MMMフラットにしてしまい、演奏そのものの命を、あからさまにして、いどむp君のような、音楽家もいてるのだ。それは、多くの人が二度と聞きたくないような音にひらめき、さらに、208236さんのような、ごく純粋なこころのうつくしさにをかんじて、いつどこでかわかるはずもない、自分の音きいてくれるだれかに、うったえつづけることだ。

とユーことで、たしろさんは、まだかなあ?
あせらしたくないけど、そしたら、笑星さんや、たしろさんやZENさんが、magic and ecstacyや、アフリカンスィンフォニー、アレクサちゃんの演奏、みてみてどうゆうふうにおもうんか、しりたいところだなあ。
 

感動する曲

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月13日(土)19時21分44秒
  感動する曲にもさまざまあれど、久しぶりに探して聞いて見ました:

Klapa Maslina: Da te mogu pismom zvati
http://www.youtube.com/watch?v=KUYIhmahYoA

♪歌い続けることで、君が戻ってきてくれるのなら、僕は君が戻ってくるまで一生歌い続ける♪ と熱唱するKlapa Maslinaの演奏に会場の全員総立ちで合唱する。 う〜ん、感動。 アコは無いけど、僕は弾いています。
一度書いたかも知れませんが、昔、ドイツのKrefeldという町に住んでいたときによく行っていたご近所のビアレストランの若旦那が旧ハンガリー領出身、ちょっと前までユーゴスラビア、現在のクロアチアで、もともとはハンガリー人なんですけど、その人のレストランに何年かぶりでたずねていき、この曲を二人で歌って泣いて抱き合いました。 これはそんな思い出につながる歌ですが、この曲はそんな再会をする前にYou Tubeで見つけて勝手に感動していた曲です。 で、僕はこの曲が好きだとその知り合いに言ったところ、合唱が始まって、涙の抱擁となった次第。 で、多分、感動しない人もいるかもしれませんが、僕は感動しているわけです。 すみません。
 

逃げ出したくなる曲

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月13日(土)08時47分59秒
  臆病者の私は基本的にホラー映画は非常に苦手ですが、さらに音楽的に、あるいは作曲技法などの素養が無い私には今回P探偵のご紹介いただいた曲はいかにエンリオモリコーネ作とは言え、逃げ出したくなる曲でした。 逃げ出したくなるほどの曲ですので、おそらく相当力が入っているというか、聴く者の心をもてあそぶことが十分できる能力のある人の作品で、そんな要素を十分理解できる素養のある方にはもうたまらんほどおいしい作品なのかもしれませんが、そのような素養というか味わう能力の備わっていない私には、もうたまらん、思いで、途中で抜け出してしまいました。 恐ろしいぐらいの曲ですから、それはきっと素晴らしい作品なのだろうなぁ、と今更ながら思いますが、二度と聴きたくありません。 改めて音楽というものの人の心に対する影響力を考えさせられました。 でも、そんな、毒のような要素もきっと混ぜ方によっては、ぎりぎり、がけっぷちの人の心を救ったり、ずたずたになった心と一緒になって泣いてくれて、介抱してくれたり、そんなこともきっとあるんだろうなぁ、などと思い始めたのは、世界の行止まりみたいなアルゼンチンのブエノスアイレスの下町で流れ者と売春宿とマフィアの横行する場所で生まれたタンゴや、戦乱と貧困と民族紛争のるつぼのようなバルカンや中東の音楽などを聴くとそこでは、こんな素敵なAlexaちゃんの音楽などはある場面では役に立たないのかも知れない。 でも、そんな嵐が去ったあとは、Alexaちゃんのような音楽で慰めて、楽しい日々を思い出させてもらいたいものだと思います。 P探偵の心の中はエキソシストのおどろおどろしい情景とどのようなかかわりあいを持ってその音楽をエンニオモリコーネの最高傑作と言わしめるのだろうか? おそらく、話題の内容が違うのだろうと思いますけど。 あ、思い出してしまった。 逃げ出したい。  

わっ、素敵!

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月13日(土)08時31分18秒
  208236様、Alexa Sageちゃんのご紹介ありがとうございます。 確かに魅力的、というか、とっても素敵です。 こちらの映像をみたら、もっと微笑んでくれて、演奏でも、これはどう? これはお好き? じゃぁ、こっちはどう? と僕とコミュニケートしてくれているような気分にさせられる素敵な演奏でした。
A selection of Old Favourites
http://www.youtube.com/watch?v=_lx6xtfJHcM
なんだか、彼女のお部屋へお呼ばれしてアコ演奏のごちそうをいただいている気分になりました。 あ〜、おいしかった!
あ、もっと正確に言うと、私の入っている養老院にボランティアで来てくれた心やさしい若い娘さんの弾いてくれる昔の曲にうっとりとして、青春時代を思い出して、入れ歯を入れ忘れた口をぽかんとあけて、思わず聴き入ってしまい、顔面がしわくちゃになってしまいました。
う〜ん、人を感動させるにはいろいろな手があるな、というか、原点に戻った感じです。 で、大音響や超速技法で、これをみろ、どうじゃぁ〜! と大見得を切るのでは無く、むしろピアニッシモで、つぶやきで、人の心をわしづかみにする、これにくい演出。 で、ちょっと微笑んでくれたりしたらもうおじさんめろめろ。
で、このアコの音色もいいなぁ、と初めから思っていましたが、ブランドがおそらく折れてしまっていたり、画像が粗いので正確には読み取れませんが、おそらくある時代のScandalliのMML、3リードマシンだと思われます。 リードは少なくともハンドメードタイプかハンドメードだったのだろうと思われます。 それが、ピアニッシモで泣かせることができるアコの条件。 かつ、すでに十分に金属疲労というか弾きこまれていて、フェンシングのサーベルのように柔軟性を備え、蛇腹や彼女の呼吸に敏感に答える剣先になっている。 まるで彼女がやさしく歌っているように聴こえるのはそのせいだ。 ピアニッシモで聴かせておいて、ここぞというときにベースにポイントを移しておいしい合いの手を入れたり、そこでこちらが反応を示すことを十分予感して次にはちょっとやさしいメロディーを流し込み、そのうえ、こちらが楽しんでいることを確認してとどめの微笑みをぶちかます。 おぬし、なかなかやるな、Alexaちゃん。
こんな曲を聴いたら、やっぱりアコーディオンだなぁ! と思っても仕方がありません。  This is it!
 

音色の表現

 投稿者:208236  投稿日:2010年 2月12日(金)22時50分9秒
  僕はアコーディオンという楽器が一番好きなので、アコーディオンも弾けないのにこうして川井様の掲示板に出没しています。
何故僕がアコーディオンが好きなのかと言うことは、以前もお話ししましたが、子供の頃に短波ラジオから聞こえてきた、日本では聴くことのできない美しい音色を大人になっても忘れていなかったからなのです。
子供の頃に聴いた曲のメロディは全く覚えていないんですけど、それは、何度でも繰り返し聴いていたい音色でした。
そんな僕がp君のafrican symphonyを聴いて、何でp君の演奏を聴いて感じないのかなぁと、ここ数日考えているんですけど、僕が求めている音色の表現と根本的に違うからafrican symphonyを聴いて何も感じなかったのかも知れないのかなぁと感じています。
僕は、アコーディオン演奏で人の心をつかむ最大の武器は音色の表現だと思ってます。どんなに指が早く動いたり、正確な指使いをしても聞こえてくる音から感じるものがないと聞きたくなくなってしまいます。
逆に、どんなに演奏を所々間違っても音色が美しいと何度もその演奏を聴いてしまいます。
以前にも紹介しましたが、僕が魔法にかかってしまう演奏はこのような音色です。
★ A selection of French accordion songs
http://www.youtube.com/watch?v=zMFYpECiCAs&feature=related
アコーディオンをやっている人が聴くと、どのように感じるのかは分からないのですが、なかなか、このような音色を奏でるアコーディオン奏者をYouTubeでさえ見かけません。
 

はやくたしろさんの続編よみたいが、

 投稿者:pくん  投稿日:2010年 2月12日(金)17時43分45秒
  まあ、まだまとまってないみたいなんで、とりあえず、つづけて、やくざな発言つづけときますが、

何のために、音楽は、存在するのか?は、自分にはまあ、わからんとして、でも、まあ、曲つくったり、演奏したり、すくなくとも流しやる立場のpくんは、やっぱし、すさまじい曲の、検索は、欠かせない条件であることは、まちがいない。つまり、本人の、すききらいだけで、判断せず、いや、すききらいははんだんするが、曲がなぜ、そうなっとんのか?過去に存在するどういうもんと、どういうもんから、アイデアつかんで、新しい曲にしてるんかとか、そういう見解が、できなあかんのは、当然で、そのためには、どんなもんであっても、興味もたなあかんのが、とうぜんなのであって、

なんか、ひとつの曲聞いて、ただ単に、これ大好き!とかで、おわっちゃあいけないわけです。
まあ、たとえばぼろんちょんにゆわれてるafrican symphonyにしたって、ぼくとしたら、ヴァン・マッコイの安っぽく仕上げる曲作りのうまさが、それなりによくわかるわけで、それにひっかかって208236さんがここに紹介してたイタリアが誇る世界の巨匠エンニオモリコーネの、さすらいの口笛だったっけ?あれは、彼の作品のなかでは、割と、なんもかんがえんとつくったほうだ、、、とか、そういう解釈になっちゃいます。さて、たとえばその数々の名曲がしられ、誰もが必ず聞いたことのあるようなエンニオモリコーネのさくひんのなかでも、p君てきに最高傑作のひとつだと、判断してるのは、きっとこれ読んでるだーれもが知らない曲かもしれませんが、この
magic and ecstacy
http://www.youtube.com/watch?v=8iIZb0gOmFQ
ぼくてきに、彼この曲、非常によくやってる最高傑作のひとつだと思います。

人によって、見方は、ぜんぜんちがう、しかし、流しやるからには、たとえば208236さんが、ひとつの曲に対して、どういったところを、すかや、とおもうことになるのか?かれが、どういっった曲に対して、感銘をうけるのか?そのへんのところを曲構成の単なる物理面からも、りかいできるようにならんといかんのは、まちがいない。
 

僕は、そうは思わないよ、川井氏

 投稿者:pだよーん  投稿日:2010年 2月11日(木)04時35分10秒
  なにがそうかゆーと、音楽は別問題やから。つまり、めちゃくちゃいけすかんやつでも、ええ演奏することあるし、音楽きくのは、208236さんのいうように、僕は、なんの、偏見や、先入観もったらあかんとおもってます。

ぼくはね、あの時は、分からんかったけど、いまやったらどうこうとか、外観と中身の違いとか、そんなみかたは、ぜったいせーへん。最初から中身だけを聞く。

そして。期待はぜったいしない。でてくるもんを、音楽を冷静に捉える。
どんな、いけすかんやつであっても、音楽にそういう偏見もってはいけないとおもうから。

だれでも、かんたんに好き嫌い判断できる。あるいは、聞くことなしに、嫌いともゆえる。それは、自由だ。しかし、まことの音楽家は、そういうはんだんしてはいけない。、、と、おもいます。

だから、アカンもんには、はっきしぼくは、あかんと判断します。ええもんは、いけすかんやつでも、そのひとなりのじんせいがあり、そこからうまれた貴重なもんやから、ええとはんだんします。

とにかく、こんなに夜遅くになっても、何か、書きたかった、川井氏は、すばらしい。
 

好き、嫌い....嫌い、好き

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 2月11日(木)01時31分16秒
  初めにいやな奴と思っているうちに、気がつくと好きになってしまった人、とか、第一印象は良かったのにだんだん嫌いになってしまった人、とか、昔は好きだったけど、今はその感情が持てない人とか、昔はなんの感情も抱かなかったけど、同窓会であったら夢中になってしまった人とか、とかく人生における好き、嫌い、は、一筋縄ではいかないもののようです。 昔いいと思って買ったアコも、お友達のアコを見てしまうと、自分のアコに愛着や義理は感じるものの、お友達のアコに横恋慕している自分がいたり、人、物、音楽、を問わず好き嫌いの基準は揺れ動くもののようです。 めぐり合った二人でも、一方がすぐ好きになってももう一方がすぐ同じ感情がわかないまま、別れた後に、その感情がなかったほうの人が、別れたあとになってその別れを後悔したり、未練で後を追ってみても、当時好意を持ってくれた人はすでに人の妻、あるいは夫、だったり....。 夜目、遠目、傘の内、美人と思って近寄れば、あっ、すみません、人違いでした、なんて、外観と中身の違いというか、期待を裏切られる出会いもあるのかも知れない。 好き、嫌いというきわめて主観的な判断基準は個人の行動の基準であるものの、それがいかに危うい基準に基づいているものかを悟るには人生はあまりにも短かすぎるようだ。  

ぼくは、すきだけど、

 投稿者:こういうのだいすきpくん  投稿日:2010年 2月11日(木)01時21分8秒
  ぼくがYOUTUBE上で、みたIvan Hajekの演奏の記憶によると、全部彼が考えた曲だとおもうけど彼は、割といつもおんなじコード進行、曲進行させてて、アコーディオンの弾き方もまあ、こんなかんじで、どれもこれもかわりばえしない。

しかし、だいぶ前に川井氏が紹介したときにもかいたけど、僕も彼の演奏わりとすきです。その、彼のやりたいこと、ヨークわかるような気がします。さらにそして、p君が想像するたしろさんの音楽経験や、たしろさん自体の音楽の歴史からして、こんなんじゃあ、さらさら、はなにもかからんし、むしろ、ききぐるしい、ゆーのも、ぼくには、わかるよーなきがします。

まあ、でも、たとえばのはなしですが、日本には、どー考えてもこれじゃあ、音楽の、お、のじにもなってへん" プロアコーディオン奏者"も、存在するみたいだし、とユーことは、そんな音楽の冒涜を、よしとしてる、ひともおるわけでしょう。あるいは、いまどきじゃあ、だれでもかれでもが、簡単にコンピューター使って、曲作って、星のかずよりおおいくらい、すでにいぜんからあるなんかに、まねてつくった、ごみ同然の"オリジナル曲"が、存在し、さらにそういう、ごみを、良しとするひとも、おるわけで。そんなことをかんがえてみると、Ivan Hajekは、ぼくには、やはり、彼なりの主張する、生命観を、強くかんじることができるのでぼくは好きです。

音楽とは何か?
ぼくにはむつかしすぎてわからんけども、
自分の経験からいまここにかきますが、生演奏の場合
侍みたいなことばになるけど、
"聞き手をみきる、"ことは、とても大切なことのひとつだと思います。これができるようになると
、演奏者の世界にどんどん、聞き手がのめりこんでいって、さいごには演奏者の求めた音楽観が、まさしく、聞き手の心の中と、おなじものになっていくのだとおもいます。

たとえばのはなしだけど、去年の住友クラブでの演奏の話、以前かきましたけど、
みーんな、本質的にアコーディオンそのものへの興味じゃあなくって、なつかしの洋楽のアコーディオン演奏が、たのしみだったわけですが、それが、さいごには、70数人ぜんぶが、アクアレッリクバーニに、くいついてきたわけです。