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これは切っても切れない関係にあることは間違いない。 昔50年代、60年代に海外のPOPソングやロカビリー、ロックンロール、シャンソン、カンツォーネなんでもはやりましたが、それらを日本語にして謳ってそこそこ人気者になった人たちがいました。 坂本九、平尾正明、森山加代子。 ただ、僕はオリジナルの歌が好きだったので、日本語にした歌にいつまでたってもなじめませんでした。 でも、江里チエミ、ペギー葉山、雪村いずみは原語で歌ってそこそこにはなったけれど、結局日本の歌を歌って大ヒット。 美空ひばりが外国の歌に手を染めなかったのは死んでもファンが増えているのと関係があるような気がする。 オリジナルの外国曲の歌詞を忠実に訳して歌おうとすると言葉が合わないだけでなく、表現している言葉でイメージするのがまったく別のものだったり、まったく別の歴史的、政治的拝啓などがあるとその言葉の力が出てこない。 より大事のは韻が踏めないことだ。 むしろ、外国のメロディーにインスピレーションを得てまったく違う歌詞をつけて大ヒットしたのが、「別れの朝」(というたいとるだったかどうかわかりませんが)"Was
ich Dir sagen will, sagt mein
Klavier"(ウド・ユルゲンス)。 直訳じゃないけど、意訳というか、うまく状況を設定しなおして新たな言葉をつけた例。
あなたのとりこ(訳詞付)
/ シルヴィ・バルタン
http://www.youtube.com/watch?v=AfiCbMXBoKE&feature=related 美しフランス語の歌詞の訳が出てくるので、この訳を見ながら何をフランス語で歌っているかわかるというのが、今日の文化なのかな。 でも、この言葉の持つリズムと韻は翻訳不可能。 それに、民族、地域、などによる、共通に認識しあえる音調があり、これらもそのままで味わうよりほかは無い、というか、そのような背景を想像しつつ味わうということになるのだろう。 異なる文化の中にどっぷりとつかるとその文化の中におけるメロディー、色、匂い、味、がわかってくる。 また、面白いことに自国の文化の味、くせ、匂い、病気が見えてくる。 そして、それらはかなり翻訳不可能。 ですので、世界の音楽は面白い。 あ、結論を急いだのは、これから仕事なので。
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