BacK Number 354


つぶやき…

 投稿者:笑星  投稿日:2010年 1月11日(月)07時20分45秒
   あまりに深遠な音楽論議。すばらしい。ほとんど「ふ〜〜〜ん」とうなってるばかりです。でもちょこっとだけ、つぶやける部分もあるかも…。
 絶対音感を奨励した時代があったとのこと。思い出しました。私の父(故人・昭和2年生まれ)は、音楽は好きでしたが、楽譜が読めるわけでも楽器が弾けるわけでもありませんでした。ところが、何かの折、「これはG(ゲー)の音だなぁ」って、それこそつぶやいておりました。「何で分かるの?」って聞いたら、「うん、飛行機の音、聞き分けるのにね」…。このことを、何十年ぶりかで思い出させていただきました。
 ちなみにそのあと、父は、かっこうワルツを「ハッゲー、ハッゲー」と歌ってました。ははは…。
 小学校におかれているアコーディオンですが、もちろん軽量でなくてはならないのでしょうが、ベースも少なく、弾ける曲が限られてますよね。アレではアコーディオンって「なんだ、つまんない楽器」と思う子供さんも多いかもしれませんね。学校に一台くらいは良い音色の、120くらい(多すぎますか)ベースある楽器あったら、アコ人口も増えるのでは?

 唱歌と賛美歌というのも、とても深いかかわりがあるとのこと。すこーしだけかじったことがあります。それはまた長くなるのでいずれ。
 

初めて聞くものはどれか?そして人間はそこからもっと追求していくことができるか?

 投稿者:とっことっこ  投稿日:2010年 1月11日(月)02時34分54秒
  シルヴィ・バルタンは、交通事故起こす前の、彼女の人気絶頂期は、ほとんどの歌が、母国語ふきこみのものと、イタリア語録音のものと、2種類の、オリジナルが存在し、だからもちろんフランスではそれが、イタリアではあれが、オリジナル版であります。今回川井氏画紹介してる、あなたのとりこ、も、もちろん、2種類あります。
しかし、彼女もその時代のヨーロッパで日本でも売れてた、歌手同様、日本人の作曲による日本語の歌ふきこんでます。もちろん、意味もよー分からんままに、発音だけ見て歌った曲、歌としてそういうのに、価値があるか?そんなことはどーでもよくて、シルヴィちゃんが当時日本語でうたった、というだけで大サービスで、日本のファンはおおよろこびだったはずです。

発音こそ、かっなりちがうけど、つづりみたら、ほとんどにてる、フランス語と、イタリア語じゃあ、ほぼ、一緒といっていい、言葉の置き換えがかのうなわけで、もちろんだから、同時通訳も可能。ところがどっこい、日本語は、いや、東洋の言葉は、言葉の成り立ち、文章の成り立ちが、全然逆なもんで、そうはとんやがおろさへん。たしろさんの、日本の西洋音楽ルーツに、かかれてあるがごとく、西洋音楽で日本の歌を、作っていく過程は、当初すさまじくむつかしいもんだいがたちはだかったことは、
いまになって、たしろさんのかかれた内容、りかいすると、つくづくかんじます。

人それぞれにとっての、オリジナルとは?ということになると、やはりその人が、一番最初に聞いた演奏に対する印象というのは、きってもきりはなせないもんがあるはずです。
たとえばtachinonさんのいうアイルランドの歌、「私の愛した街」は、tachinonさんは、もともとのもんからはいったから、3拍子。えぇー!ちょっと??ということになったけど、しかし実際には、初めて、3拍子なっちゃってる、この曲を、はじめてきくひとも、いるはずだし、川井氏がなんどもゆう、あのウド・ユルゲンスのペドロアンドカプリシャスをはじめ、
ぼくのしるかぎりでは

黒猫のタンゴーvolevo un gatto nero
哀愁でいとーnew york city night
とかあるし、たとえばそのフニクリ・フニクラにしても、日本じゃあ、もともとの歌詞で歌われることより日本語の歌の方が、ポピュラーだし。きんねんにはいってから、僕の知る限りでは、キリテカナワが、ホルストのジュピターうたったworld in unionゆうcdがヨーロッパで、結構売れたら、その後、日本では、なんとかさんとかゆーおんなのこが、まねしてうたったやつが、おおうけしたらしい。

エルビス命の、川井氏が、オリジナルの歌が好きだったので、日本語にした歌にいつまでたってもなじめませんでした。ゆーのは、tachinonさんのそれとおんなじで、ほんにんが、まずどの演奏きいたやつから、その曲にはいっていくか?ということは、個人個人においてひじょうにちがいがあるはずです。

そしていまどきは商業ベースの、音楽産業界にとっては、どれがおりじなるであろうが、そんなもんかんけいなく、うれるもんつくりゃあいい、というのは、経済の基本だ。

さらに、個人個人の、音楽的経験の違いによっても、かなり、曲、演奏のうけとめかたは、ちがってくるとおもいます。例えば、でんきギター専門の、pくんがきいたアベ・マリアは、調の違いなんて、なーんにも、違和感ないのにたいし、チェロながねんやってたたしろさんは、まずそーゆーとこから、きーつくところがちがう。
さらには、バッハのインヴェンション1番、この3つをきいたたしろさんの意見は、相当鋭いが、それって、この曲だけぽーんときいての判断ではなく、よーくバッハの音楽聴いて知ってる人の発想だ。こういうたしろさんみたいな、よーくバッハの音楽聴いて知ってる人がきくと、たしかに、さんばんめのひとのは、問題大あり、バッハのバの字もしらないで目先のアイディアと、個性だけでおしとおした、むしろバッハの音楽を、冒涜してるような暴力的な傲慢な演奏にきこえるんだとおもいます。さんばんめのひとのは確かに、もうちょっと、まじめに音楽にとりくんでほしいものですねえ。しかし、演奏ユーもんは、えてして、性格がでるんで、なかなかなおるもんじゃあないとはおもいますが。
 

そうですね。

 投稿者:tachinon  投稿日:2010年 1月10日(日)20時09分20秒
  「歪められた」のではなく、当時の時代背景・・・当時の「一般的な感覚」として受け入れられるような歌詞を移植した、と表現すべきでしたね。一寸舌足らずだったので、訂正させてください。 それに、原詞に忠実な日本語歌詞は、現在でも難しく問題でしたよね。

 ところで、「半音低い絶対音感保有者・・」の書込みで、思い出したことがあります。
 30年以上前のことですが、当時の職場の若い人たちの集まりで、下手なギターで歌の伴奏(コード弾き)をしたことがありました。その頃はハーモニカでピッチをあわせていました
 そのとき、(当時の表現)「A=440c/s」の楽器にあわせて、毎日仕事で歌っている(当時の呼称)保母さん達の歌・声には(カポタスト付ければ)すぐにあわせられるんだけれど、そうでない人の中には、歌は上手いんだけれどカポタスト(ギター用簡易移調装置)を付けても、ピッチを合わせきれなかった・・・ということを思い出しました。つまり、その人のピッチが440付近でないということになんでしょうね。
 今はカラオケで日本中のほぼ同一のピッチが浸透してますから、そんな体験が「昔話」になったことを改めて思い知らされました。
 

日本の西洋音楽教育−そのルーツを訪ねて(3の続き)

 投稿者:たしろ  投稿日:2010年 1月10日(日)18時05分47秒
  伊沢修二の導入手法には、後にいろいろ疑問視する意見もあったようですが、彼の科学的アプローチは、事業を成し遂げる上で重要な切り口だったと思います。(僕は音楽は教養科目としてしか学んでいないし、しかも教職も取っていないので、あくまでも想像にすぎませんが。)

明治初期においては時代そのものが西洋に学ぼうという空気で統一されていた様ですが、どのように音楽の授業が始められたのかは次のエピソードはなかなか興味深いものがあります。
メーソンは着任とともに全国から30名の伝習生を集め、音楽取調掛で直ちに西洋音楽の伝授に着手していますが、最初の伝習生には13歳の少女から51歳の爺さん(邦楽界の大御所)まで含まれていたようで、一緒に授業が行われたようです。そして、このとき件の老邦楽家が小学唱歌集の「薫れ。匂へ。園生(そのう)の桜」を歌うときに、言葉の句切りで必ず「ヤ」という奇声を発し、どうしてもその奇習が止まらなかったという話です。(この老邦楽家、富本豊前太夫は、後に東京音楽学校教授に着任。)

このような困難を押して始った西洋音楽の導入ですが、教科書の整備や音楽教師の養成に加えて大きな貢献をしたのがオルガンやヴァイオリンなどの国産化で、後のハーモニカに至るまで教育楽器の普及があったことも見逃すわけには参りません。

長崎で時計の修理技術を学んだ山葉寅楠(日本楽器の創始者)は1888年(明治21年)に本格的オルガンの製造に成功しており、また三味線などの和楽器職人によるヴァイオリン製作など、何れも高価な輸入楽器の修理を手がける中で身につけた技術によるとは言え、明治初期の洋楽器産業の発祥も活発に行われています。

さて、音楽取調掛が設けられた1879年に生まれた瀧廉太郎が西洋音楽の優れた音楽家として育った背景には幼児の音楽環境と明治初期の音楽教育のみであったことを考えると、幼少年期の音楽環境が如何に大切かを改めて思い知らされますが、その後生まれた音楽や育った音楽家などのご紹介は一括省略しますが、明治、大正、昭和期において我が国の西洋音楽がどのように普及が進んだかについては(2)でご紹介した堀内敬三の「日本音楽50年史」に詳しいので、興味のある方は是非ご参照下さい。特に、終戦直前、東京でコンサートに足を運ぶ人たちがどれほど多かったかの記録は驚嘆に値します。戦前の時代にそれほど浸透して居たと言うことです。

翻って私たちの音楽環境がどのように変化してきたかを辿ると、学校教育の他に1910年頃にはSPレコードの普及がありましたし、1920年頃にはラジオ放送、そして戦後はLPレコード、TV、CD、DVD・・・と今ではすっかりメディアの洪水の中にあります。
とは言え、昭和天皇の崩御の際、「歌舞音曲は慎むように」とのお達しが出されたことも忘れられない事実です。平和であってこそ音楽も出来ると実感した瞬間でした。

終戦直後をちょっと思い起こしますと、「ラジオ」のあるお宅は中流以上、蓄音機やオルガンは上流以上で、ピアノに至っては上流の中でも限られた家庭にしか存在しませんでした。(農山村部に至ってはラジオも無く、日常的に西洋音楽に触れる機会もほとんど無かったと考えられます。)しかし、現実には音楽に触れる機会の多い家庭環境の中から優れた音楽家が多数輩出しました。また、絶対音感の保有者もその様な環境の中から生まれました。(今では一億総中流の時代を経てピアノなど固定ピッチの楽器が多くの家庭にある状態となりましたので、絶対音感の保有者は若い人にとってはそれほど珍しくなくなっています。)
(欧州各国では、街の古いパイプオルガンのピッチが町によってそれぞれ違ったり、管楽器もそれに合わせられるようにわざわざ違うものを揃えなければならないような環境を抱えていますから、絶対音感の保有者は圧倒的に日本が多いと思われます。)

ところで、絶対音感については、第2次世界大戦が迫った頃、学校で飛行機の爆音を聞いて機種を特定するのに有用であるとの理由で軍部からの養成で力を入れた時期もあったようです。私の大学の研究室に半音低い絶対音感保有者がいましたが、そのお宅には戦前からの古いピアノが調律されないまま有ったとのことでした。(昭和35年頃の話です。)

もうひとつこんなこともありました。特にラジオの普及が進むまでは、ユニズンで歌う斉唱の際に4度ずれて唱和する人達がかなりいましたが、今ではみかけなくなりましたし、また、いわゆる「音痴」ですが、カラオケの普及などのせいでしょうか、急速に少なくなったようです。このように、音楽に関わりのあるメディアの普及は、国民全体の音感の変化に大きな影響を及ぼしてきたことが伺われます。

さて、戦後生まれた新憲法のもとで教育基本法が制定され、そのもとで学習指導要領が設けられており、こうして義務教育の過程で音楽が必須とされています。鍵盤ハーモニカは今では全ての学童が手にしているし、小学校の器楽経験でアコーディオンに触れる人たちも増えています。日本の音楽大学にアコーディオン科が無い問題に対しては、先ず副科でアコーディオンの経験者を大量に育てることをすることから着手されるべきと考えます。

最後に、現在の学校音楽環境を形成している根拠について触れておきます。それは、学習指導要領ですが、これは文部科学大臣が変えると言えば何時でもいじれる仕組み(文部省告示)の中にありますから、P君からローマの公立学校では音楽の授業が無いのが普通だという報告にあったように、日本の学校でも音楽を教えることが何時までも普遍というわけではありません。「音楽を教えることを止めて英語を教えた方が良い」となればそのようにできる仕組みの中にあることもしっかり認識しておく必要があります。
後半は特に駆け足で参りましたので全体として散漫になりましたがPくんとのお約束はひとまずここで締めくくることをご容赦下さい。
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参考文献(日本の西洋音楽教育−そのルーツを訪ねて(2)に同じ)

(参考Wikipedia等)

文部省
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E9%83%A8%E7%9C%81

音楽取調掛
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%96%E8%AA%BF%E6%8E%9B

伊沢 修二(1851年 - 1917年)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%B2%A2%E4%BF%AE%E4%BA%8C

ルーサー・メーソン(1818年 - 1896年)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

唱歌 (教科)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%B1%E6%AD%8C_(%E6%95%99%E7%A7%91)

文部省唱歌
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

瀧 廉太郎(1879年 - 1903年)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

瀧廉太郎記念館と竹田の町並み (滝廉太郎の幼少年期の音楽体験など)
 http://maxi-oita.at.webry.info/200908/article_1.html

山葉寅楠(1851年 - 1916年)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%91%89%E5%AF%85%E6%A5%A0

学習指導要領
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%A6%81%E9%A0%98
 

日本の西洋音楽教育−そのルーツを訪ねて(3)

 投稿者:たしろ  投稿日:2010年 1月10日(日)18時02分24秒
  前回なぜ政府が一致して西洋音楽に着目したのか、そのねらいは何であったのかに触れましたが、いよいよ学校教育への導入手法のルーツを訪ねます。さすがに鋭いPくんには、もうこの先は不要かと思いますが、漕ぎ出した船ですので岸に戻るまで皆さんもうしばらくおつき合い下さい。

さて、明治新政府は、1872年(明治5年)に太政官布告で学制を発表し、小中学校で音楽を教えることにしました。しかし、どうやって日本人に西洋音楽を教えるという木に竹を継ぐような大事業をなしとげるのか、方針ではやると決めたものの具体的には何の研究も準備もできていなかったため、しばらくの間は手つかずの放置状態でした。

このようななか、信濃の国高遠藩の貢進生として大学南校(東京大学の前身)に学んだ伊沢修二は、愛知師範学校校長着任の翌1875年(明治8年)から1878年まで、師範学校の教育の調査のためにアメリカ合衆国に留学生として派遣されます。
彼は、マサチューセッツ州ブリッジウォーター師範学校で教育について学び、卒業後続いてハーバード大学で理化学を、また地質研究や聾唖教育などについても学ぶなど優秀な成績を納めますが、留学中、音楽、特に唱歌では全くどうにもならず、「日本の学生に対しては音楽を免除しても良い」との申し出が出るほど苦労があったようです。
こうして帰国して東京師範学校長となった伊沢は、音楽教育の教材のあり方について概略次のような見込書を文部大臣に提出します。

(見込書)音楽教育のあり方について巷間に次のような意見がある。
a)音楽はどんな人間にも共通であるべき。よって東洋の野蛮で低級な音楽はこの際廃棄し西洋音楽の移植を急ぐのがよい。
b)どの国にも独自の言語・文物・風俗があるように、日本人には日本固有の音楽を培養し育成するのがよい。
c)上記各論は何れも真っ当であるが極端である。これらを折衷して日本に通用するものを模索するのがよい。こえを具体的に進めるには、困難ではあるが
・東西二洋の音楽を折衷して新曲を作る。
・将来国楽を興すべき人物(理論・実際)のうち、実務家の養成を急ぐ。
・(実験授業を通じて成果を確認しながら)諸学校で音楽を実施する。

この伊沢の提案を受けて、1879年(明治12年)に政府は音楽教育の調査と研究のため、音楽取調掛(東京芸術大学音楽学部の前身)を開設。上記C)の立場で伊沢が担当官(御用係)の任につきますが、アメリカで音楽を学んだ恩師メーソンを翌1880年(明治13年)から2年間招聘。こうして日本の西洋音楽導入の骨子は、音楽取調掛の開設から3年間で彼らの手によって確立されました。
この時期に彼らは
・音階(ドレミファ・・)は「ヒフミヨイムナヒ」とし、音名(CDEF・・)は「ハニホヘトイロハ」として日本語化して教育の場で採用。
・日本の童謡や民謡、邦楽などを採取してヒフミヨで記譜を進め、西洋音楽と比較研究することで教材を模索。

この結果、各国の童謡には簡易な音階で構成されているなどの共通点があることや、日本古来の音階が5音音階からなっておりアイルランド民謡にやや近いものがあるなどの調査結果を得て1881年(明治14年)には蝶々、蛍の光、などそれぞれ当時の表題は異なるものの今日でも広く歌われている曲など33曲を含む「小学唱歌初編」を発表している。

こうして徐々に西洋音楽の導入が始まり、洋楽の演奏会も開かれるようになるが、プログラムには必ず邦楽のプログラムも含めるのが慣習で、特に聴衆には洋楽器で日本古来の音楽を演奏すると喜ばれたようです。

tachinonさんから「日本の小学唱歌や、学校の音楽教科書に採用された外国曲は、歌詞の意味がずいぶん歪められているとおもいます。」とのコメントが有りましたが、西洋音楽導入の工夫として本来の歌詞とは離れて日本の風物や季節を織り込んだ歌詞を作詞させて提供したもののうち今日まで残っているものが、「歪められている」という印象につながっているようですが、導入された年と背景を同時に見る必要も有りそうですね。(教育の場で取り上げられた曲以外に目を当てて翻訳ものの難しさに言及された川井さんのコメントについても同様です。)
歌声喫茶などで「庭の千草」「旅愁」「故郷の空」などを歌ったときに「何れも外国の曲ですよ」と紹介すると、「日本の曲だと思っていました」というコメントが帰ってきた事がありますが、それほど明治時代に学校教育を通じて紹介された曲は深く浸透してしまったのですね。

長くなったのでここで一度切ります。
 

言葉とメロディー

 投稿者:川井 浩  投稿日:2010年 1月10日(日)17時08分9秒
  これは切っても切れない関係にあることは間違いない。 昔50年代、60年代に海外のPOPソングやロカビリー、ロックンロール、シャンソン、カンツォーネなんでもはやりましたが、それらを日本語にして謳ってそこそこ人気者になった人たちがいました。 坂本九、平尾正明、森山加代子。 ただ、僕はオリジナルの歌が好きだったので、日本語にした歌にいつまでたってもなじめませんでした。 でも、江里チエミ、ペギー葉山、雪村いずみは原語で歌ってそこそこにはなったけれど、結局日本の歌を歌って大ヒット。 美空ひばりが外国の歌に手を染めなかったのは死んでもファンが増えているのと関係があるような気がする。 オリジナルの外国曲の歌詞を忠実に訳して歌おうとすると言葉が合わないだけでなく、表現している言葉でイメージするのがまったく別のものだったり、まったく別の歴史的、政治的拝啓などがあるとその言葉の力が出てこない。 より大事のは韻が踏めないことだ。
むしろ、外国のメロディーにインスピレーションを得てまったく違う歌詞をつけて大ヒットしたのが、「別れの朝」(というたいとるだったかどうかわかりませんが)"Was ich Dir sagen will, sagt mein Klavier"(ウド・ユルゲンス)。 直訳じゃないけど、意訳というか、うまく状況を設定しなおして新たな言葉をつけた例。

あなたのとりこ(訳詞付) / シルヴィ・バルタン
http://www.youtube.com/watch?v=AfiCbMXBoKE&feature=related
美しフランス語の歌詞の訳が出てくるので、この訳を見ながら何をフランス語で歌っているかわかるというのが、今日の文化なのかな。 でも、この言葉の持つリズムと韻は翻訳不可能。 それに、民族、地域、などによる、共通に認識しあえる音調があり、これらもそのままで味わうよりほかは無い、というか、そのような背景を想像しつつ味わうということになるのだろう。 異なる文化の中にどっぷりとつかるとその文化の中におけるメロディー、色、匂い、味、がわかってくる。 また、面白いことに自国の文化の味、くせ、匂い、病気が見えてくる。 そして、それらはかなり翻訳不可能。 ですので、世界の音楽は面白い。 あ、結論を急いだのは、これから仕事なので。
 

アヴェマリアなどの感想を敢えて言うならば

 投稿者:たしろ  投稿日:2010年 1月10日(日)11時17分52秒
  Pくんお誕生日おめでとうございます。
先ずアベ・マリアですが、僕は絶対音感は無いけれど、keyが違うと音色も違い、最初しばらくの間は全く別の曲のように聞こえます。で、並べた順番は単にkeyが高いものから順に並べただけで、これは逆にして低い方から聞いて頂いた方が良かったかなぁとも思ったのですが、まぁともかく出てきた順を尊重しながら並べたにすぎません。それでそれぞれの演奏に対して敢えて感じたことを無責任に上から順に列挙すると

Renata Tebaldi は伴奏も含めてオペラ並みにスケールが大きく、「どうだ参ったか」という感じがあって、ただただ畏まって「恐れ入りました」と言わざるを得ない感じがちょっと。だから、女王様のご機嫌を取るためにオーケストラやら合唱団まで何種類かのkeyの楽譜を用意しなければならないとしたら伴奏する側はシンドイなぁと感じながら聞きました。

Kiri Te Kanawa は、ちょっと音量レベルが録音技師によって人為的にいじられている感じがあってそこのところが先ず気になりますが、ハープ1本による伴奏が実に良い感じでこのシンプルさは最もこの曲にふさわしいように感じました。僕の好みとしてはもう少しテンポはゆっくり目の方が落ちつきますが、この響きや残響からは難しいかも知れません。Keyは最も一般的な高さなので、列挙した中で比較するならこの演奏が一番安心できます。

Jessye Norman は、最も宗教的な雰囲気を感ずるけれど、もともと喜びや感謝の気持ちが含まれていると思われるこの曲なのに、keyが低すぎるためまるでお通夜の音楽のようで音楽が沈みっぱなしなのはちょっと辛いなという感じです。

Andrea Bocelli は、youtubeの再生回数の多さに実は吃驚したのですが、カンツォーネのような歌いっぶりは実はこの歌に関しては余り好きではありません。また残響をたっぷり取り込んだ伴奏の、始終のっぺりとした感じも頂けません。この歌はもっとすっきりした清純さが好ましいので、やはり女声が合っているように思います。

全体として順番は付けるつもりはないけれど演奏の好き嫌いで言ったら、Barbara Hendricks の伴奏の木管楽器の使い方が音楽を一緒に作っている感じがあって好きです。またこの人の歌は、仰るようにヴィブラートが特に後半や音楽が高潮したときに多目になるのが気になるけれど、人間味があって少し肉感的なのも悪くない。おー、本音が少し顔を出したようですが、人間の声というのは顔は知らなくても体つきも想像させるものですねぇ。

Angela Gheorghiu は、オーケストラやバックコーラスがきちんと歌に寄り添ってくれないもどかしさがあって、演奏の質というか指揮者と歌手は録音の前に喧嘩でもしたのかなどと思ってしまいました。

昨日は楽譜と演奏というテーマでさらっと聞いただけでしたのでこんな風にコメントするつもりは無かったのですが、敢えて好き嫌いを含めてコメントを並べてみました。これらの中には有りませんが、もしもバルセロナ・オリンピックの開会式だか閉会式だかで歌っていたヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが歌うとすればどんな風に歌ってくれるのかなぁ、きっと自分の一番好みには合っているのではないかなぁという感じはあります。彼女の歌は、フォーレのレクイエムを聞いて好きになりました。

PCと音質関連の話は長くなりそうなのでここではパスとし、別の機会にしたいと思います。

次に、バッハのインヴェンション1番ですが、うーむ。そもそも音の立ち上がりが早く、その後勝手に減衰してくれるハープシコードやピアノなどの場合と比較して、音の立ち上がり(特に低音)が遅く、奏者が切るまで続くアコーディオンの場合は先ず音符の長さに対してどのように音を保持すべきかという問題があるように思いますし、さらに全曲を通してその状態をどのように揃えるのか(音の粒を揃える)という問題が有るように思います。そもそもバッハは、自身が弾いていたオルガンで弾くことは想定していたのだろうかという疑問もあります。そのうえで装飾音をキチッと入れながら整然と弾くことが求められるとすると、フリーベースの楽器が先ず前提で、しかも音量、音質、動きともに均整が取れた状態で聞こえるような両手の運動性が求められるでしょうから、このようなことを考えるとアコでこの曲に取り組んだ挑戦者に先ず脱帽で、とてもコメントなど出来ません。天体写真を撮る目的でカメラを宇宙に向け、もしも天体が写っていたらそれは大成功だというレベルよりももっと低いレベルなので、入り口で万歳、降参です。

それでも聞く立場で敢えてコメントさせて頂くならば、1番目は音や映像の悪さだけでなく、対旋律による2声部の音楽の筈なのに、この演奏には対旋律の躍動の喜びとは無関係に縦線の関係だけで音楽が進んでいるように聞こえますが、ともかく天体は写っていたといえるので頑張れということでしょうか。まぁ、難しいのによく取り組んでいると思います。
2番目は良いですね。音も良く、しっかりとバッハの音楽が感じられます。しかし僕の好みから言えば、テンポはもう少し速く、しかも機械的とも言えるほどのテンポ運びによる緊張感があった方がこの曲には合っていると思いました。
3番目は、うーむ。遊びとしては面白い取り組みかも知れませんが、敢えて身内感覚で言わせてもらうならば、もっとまじめにやれぇと言いたい感じです。まだお若いのだし、装飾音についても原典版かまたは然るべきエディターのものを選んで地道に真正面から取り組んで欲しいです。また、曲をいじるならリズム形も含めてもっと思い切ったアレンジに取り組むのも良いかとは思いますが、僕の好みとしてはそれは最初からやることではなく、端正な演奏を聴かせた後で斬新なアレンジでリズムも変化させながら展開させて行くなどすれば「インヴェンション」の表題にふさわしい現代的な斬新さが出て面白くなるように思いました。言いたい放題でご免なさい。
 

ついでに、もうひとつ

 投稿者:tachinon  投稿日:2010年 1月10日(日)09時36分46秒
   アイルランドの抵抗歌で、「私の愛した街」というのがあります。いま行っているアコーディオン講座でこの曲やりたいっていって、選んだのですが、you-tubeで本家の歌を聴くと4拍子なんですが、私のみつけた(日本で出版された歌集)のは、3拍子。えぇー!ちょっとと思いネットで楽譜も探したら、(細かいアレンジは無視しても)本家は4拍子の楽譜、日本のは3拍子・・・・
 これって、他にもありそうです。おもうに・・多分・・・言葉の違いかなぁ・・・と思うのです。ちなみにもアニーローリーもそんな感じですかね。

 日本のポピュラー(フォーク系)でも、関西の人が創った歌を東北の田舎っぺの私が歌うと、ちょいと違和感があって、楽譜をみて正確にうたわなければ、一寸節が変わってしまういがちです。(そんな訳で楽譜をコンピュータに弾かせてから練習しないと危ない。)
 そんな状態なので、アコーディオン(に限らず)自分で伴奏をしながらメロディを弾くと、(歌ってもそうなんでしょうけれど)自分の地方のアクセントに合ったメロディになって・・・・先生から「そこ違うよ」といわれます。
 昔学校で国語の時間に「赤とんぼ」のメロディとアクセントについて標準語のアクセントと違うということを習った記憶があります。
 

今年もときどき変な書込みを

 投稿者:tachinon  投稿日:2010年 1月10日(日)09時19分52秒
  させてください。話しが横道にそれるかもしれないのですが、ひとつの曲が、種々な国で種々様々な楽器で、いろんなアレンジで、演奏され歌われている「例」として、(好き嫌いや思想的なことは、脇においておいて、)ネットで探しやすいのは、かの有名な「インターナショナル」ではないでしょうか。元祖フランス、本家ロシアあたりは、なんとなく、そんな感じがしますが、ギター伴奏で歌っているあたりまでは、なんとなくわかるのですが、アラブ系のアレンジになると、一寸イメージが変わってきます。でも、多分「歌詞の意味するところ、方向性」は多分変わらないのでしょうね。そういう意味で、インターナショナルは、いまだにそれなりに、生きているメッセージを持った曲ですから、ここにリンクは貼れません。興味のある方は自分で検索してくださいね。世界各国のバージョンを集めたサイトが複数あることだけ記しておきます。
 その点、日本の小学唱歌や、学校の音楽教科書に採用された外国曲は、歌詞の意味がずいぶん歪められているとおもいます。というと語弊があるかもしれないけれど、花鳥風月風に毒‐-‐色気---が消されているというべきか。
 私の経験ですが、中学か高校の音楽教科書に「ワルシャワ労働歌」のメロディで別の歌詞をつけた「はるかな青空」というのがあって、音楽の時間に歌ってましたよ。
 クラシツクなら、作曲者の意図なり作曲者のイメージを忠実にということもあるのでしょうけれど、(だからこそ、「もしも、大作曲家○○の時代にこの楽器があったなら」なんて解釈も可能なのかも)ポピュラーなら、・・・・「好み」でかまわないような。
 ついでですが、日本でイタリアの曲でよく知られている「フニクリ・フニクラ」は鉄道会社のキャンペーンソングで、山口百恵が歌った「いい日旅立ち」の先祖みたいな曲なんでしょ?
 

すみません、。しかし、川井氏は、また、かわいこちゃんといそがしいのかなあ?

 投稿者:p歩こ  投稿日:2010年 1月10日(日)04時36分4秒
  きょうのあさおきていちばんの時点で、すべてききくらべてたんですが、きょうはhappy birthday mailの返信におわれて、掲示板に、かけるのが、とうとうよるになっちゃいました。(一月九日で46さいになりました)。このごろは、細かい手作業しようとすると、指ふるえたりして、やっぱし、としいきました。
しかし、父親みたいな年のたしろさんには、pくんのわけのわからん投稿のために、いつものように深く深くかんがえていただいて、なんか、もうしわけないです。もしかしたら、かかないほうがよかったんじゃないかとおもい、ちょっと後悔してるかもしれません。

ほいで、ぼくんとこのやすもん再生装置で聞いた結果、(コンピュータにつないでんのは、ほんとにやすもんです)ジェシーノーマンちゃん(といっても、今では、もう、そうとうのおばあちゃんかなあ?)が、一番、個人的には好きで、録音もいいのではないか?と、かんじました。つづいて、キリテカナワちゃん(いや、かのじょも、おばあちゃんか?)がいいなあ。バルバラヘンドリクスという女性は、しらないひとだけど、このひとは、もしかしたら、ビブラート調整能力に問題あって、自己調整できんと、かってにはじまるビブラートのまかしてるようなきがして、いちばんすきじゃあなかった。ついでにゆーとアンドレアボシェッリは、昔、サンレモで、一緒やったんで、おーたことあります。歌謡曲は、何か、場違いな男やのに、こういうのうたったら、ぼくとしては、よってもいいかんじでした。

さてそれにしても、さいごのAngela Gheorghiu、ユーのは、かろうじてちがったけど、あとぜんぶ、このYOUTUBEのちゃんねるは、いったい、なんなんだ!?聴き比べチャンネル、よくこんなチャンネルあったもんだ。

ざんねんながら、ぼくとしては、けつろんてきに、調が、変わることには、全然、違和感無く、どれもおんなじにきこえて、とゆーより、歌とユーのは、どーしても、歌手の声そのものに、脳みそが集中してしまって、どんな安もん再生装置であっても、ちょっとこれでは、なんともいえない、ということで、そういう、サンプルもってくるあたりが、ちょっとたしろさん、エッチなのでは?

あと、つくづくおもったのは21世紀にはいり、コンピュータ使っての、再生音楽を、個人がどんどん利用していく時代だから、やっぱり、コンピューター用の再生装置も、もっとまともなもんねせんとあかんなあ、とゆーことです。

アコーディオンゆー楽器は、本当に、ひくひとによってなにもかもかわってくるんでとりあえずいま、ふとひらめいたんですが、YOUTUBEで、自分がけんさくして、
みつかる、バッハの、invention 1d、アコーディオンで、
http://www.youtube.com/watch?v=aFeJLe2BzbE
http://www.youtube.com/watch?v=Dkcv3_moTS0
http://www.youtube.com/watch?v=_WYKNjkBsC0

これなんかで比較してみたらどうでしょうか?
とりあえず、僕は個人的に2ばんめのえんそうがいちばんすきです。いちばんバッハの曲らしいようにおもいます。3ばんめは、まーゆーてみたら、いちばん譜面の忠実度にかけている。いちばんめは、何か、こんなんおんがくとちがう、ゆーかんじかなあ。