BacK Number 336


pくんはさしずめ水鴎流ですか?

 投稿者:しとしとピッチャンの時代のp  投稿日:2009年10月16日(金)01時55分16秒
  そんなかっこええもんとちがうか?
確かに僕が、にほんおったころには、まだ、その派閥みたいなんがあって、先生同士の、いやがらせ、ねたみ、てあしひっぱり、ひきづりおとし、みたいなんがあって、弟子達もそれに、従事していく、ユー風な、風潮は、あったようにおもいます。
いまは
演奏ジャンルも広くなり、教室の先生も怖くなくなり、
というのは、、
たぶん、インターネットをはじめとする情報の、普及で、おおくのひとが、わりと自由に、本人のもとめたい情報がてにはいるようになったから、さらに、おんなじようなことを、求めたい人たちの交流、情報交換も、インターネットのおかげで、さらにもうちょっと、ざぶとんもらうとしたら、川井商店の総合サイトのおかげで、
なんかやましいことかくしときたかった悪代官みたいな先生でも、もう、かくしきることができなくなってきたからとちがいますかねえ?
 

流派

 投稿者:カブトガニ  投稿日:2009年10月15日(木)16時41分12秒
  近頃面白い論争が続いていますね、この場で討論なさっている諸先生がお若い時か、お生まれになっていなかった時代の日本手風琴界には東西其々覇を競う家元の様な大御所先生がおいでで、派閥の様な系列が有りました。
家元から巣立って自分の教室を開いたら、家元の弟子が巣立った先生の教室に移りだし、戦争勃発なんて話もあったり、コンクールを後援しているT楽器さんが当時扱っていなかったボタン式で入賞した人がいたら、大御所先生「T楽器で扱っていない楽器を使う人を入賞させるな」とクレームをつけたそうです。
バンドやオーケストラで左手を使わない仕事をしていた私も大御所先生に「お前は左手を使っていないからアコーディオン弾きじゃ無い」と云われました。
こんな怖い時代から見ると今の日本アコーディオン界レベルも高くなったし、演奏ジャンルも広くなり、教室の先生も怖くなくなり、長生きして良かったです。
 

話題の新展開

 投稿者:川井 浩  投稿日:2009年10月15日(木)06時59分1秒
  いや〜、皆さんの含蓄に富んだお話がおもしろい! ぼくも、たしろさんにいみじくもご指摘を受けたように、ただ、アルコールではなく、時差ぼけと寝不足のまま、いろいろとコメントさせていただきたく存じますが、いかんせん、外人さんお二人をつれて、大阪、福井と、出張し、夜討朝駆け、真夜中メールと見積書作成、などの雑務に追われる切ない仕事人生の泥沼からはいだせず、歯がゆい思いです。
で、【師の影を踏まず】についても、思うところが多くありますが、なんといっても茶道、華道、書道、といったなんとか道という形の下手をすればねずみ講まがいにもなりかねない独特の文化伝承システム、というか、課金・集金システムというか、経済システムというか、このもしかしたら日本独特(では無いのかも知れませんが)かもしれない、この良かれ悪しかれウェットな方式、あぁ、ため息がでます。 もっと書きたい、けど、仕事にいかなくっちゃ。 ブレックファーストミーティング、工場での技術打ち合わせ、商談と続く今日の日程。 あぁ、アコ弾きたい。
 

誰か何とか、もっと分かりやすいように説明して欲しい

 投稿者:PくんにはむつかしいPくん  投稿日:2009年10月15日(木)04時23分33秒
  さらになんのこっちゃわからんようになってきました。
【師の陰を踏まず】という師弟関係が創造的な取り組みを忌避する風潮につながるというわけなんですか?なんかよーわからへん。でも、【学ぶ=真似る】という図式の学習というのは、師弟の、基本であり、まともな先生やったら、その先生が、まさしくもとめてることだとおもうのです。ピッツァのできそこないみたいなpくんですが、さいわい、ぼくは、本当に、素晴らしい先生に、めぐりあうことができたんで、、【教室に行って、授業料を払って、ミスの無いようにお稽古をする】という日本的風土は、よくわかりませんが、とにかく、まともな先生やったら、弟子が先生とそっくりのえんそうできるようになることは、ほんとうにうれしいんだとおもいます。

ちなみに、ぼくは、あるときとつぜんぐうぜん、ぼくの吉田親家大先生のマジックフィンガーズの演奏みて、これからは、これの時代や!と、おもて、あこーでぃおんはじめました。
ほんでね、最初に覚えた曲が、ダークアイズやったんですが、次にやらしてもらったんが、なんとそのマジックフィンガーズで、その曲で日本のコンテストに出ました。ダークアイズは、なんかいひいても、フィーリングが、ちがうとゆわれてたんですが、マジックフィンガーズは、僕が、もち曲として、あちこちでひくようになって以来、大先生は、ひかなくなりました。かってにその曲にかんして、p君のほうが、うまなったからやと、おもってるんですが。

もしね、もし、ぼくが、弟子持ったら、弟子が、なんかの曲で、じぶんよりえええんそうするようになったら、僕やったら、その曲人前で、えんそうするのは、やめるし、それが、とってもとってもうれしいことです。

本当に尊敬できる素晴らしい先生というのは、よくはわからんけど、まず、
師の陰を踏む、弟子がいてることが、いちばんうれしいんとちがいますかねえ?

自分が教えることによって、どこまで弟子がじぶんをこえるか?見ることは、先生やってて、とてもうれしいことだとおもいます。

ちなみに、僕は、今でもぼくの大先生の音楽にちかづこうとしています。大先生のまちがうとこも、おんなじように、まちがうくらいになりたいとおもっています。
 

今回の長野のkazuさんの話に思う

 投稿者:たしろ  投稿日:2009年10月15日(木)00時11分9秒
  要は、【教室に行って、授業料を払って、ミスの無いようにお稽古をする】という日本的風土の中でのお稽古事に関して、kazuさんご自身が幼児期に体験された事を通じて、いわゆる【音楽教室】といわれるところでは【一体何を教えているのか、そしてそこへ通う人たちは何を学ぼうとしているのか、その親は何を学ばせようとしているのか】の原点に触れた告発のコメントを頂いた、このように思いました。(何が「要は」だ、かえってクドくて分かりにくいではないか!)

ご免なさい。で、一体僕は何を言いたいかというと、文化的な面に限ってみても茶道、華道、書道、舞踊、箏、三味線・・・などの伝統的なお稽古事の世界では【口伝】というか、お師匠さまの手取り足取りの門外不出とでも言うべき世界を受入れて来ました。

だから、(教える側自身の体験も含めて)教える側にも、また新たに教わる側にも【師の陰を踏まず】という師弟関係が無意識のうちに形成され、創造的な取り組みを忌避する風潮が根底にあった(いや、今でも色濃くある)と考えられます。これは、いわば長く続いた封建社会によって形成された日本的文化風土ととらえて良いのではないでしょうか。

先に川井さんは【日米文化の違い(10月9日)】というタイトルで、(少々アルコールが入った感じではありますが)もどかしい思いを表現されていますが、このような日本的な環境をそのまま受け入れることを良しとするか、それとも敢えて流れに竿を差すか、それは各人の自由だけれども、僕は創造的に取り組みたい。残された人生は決して長くないから。

長野のkazuさんは、次のような表現でクリエイティヴな取り組みを評しました。
>まあアコ道は、皆、大人だし人がやらない事を良しとするヘンクツが多いし、言われても聞く耳は無いよ〜っと、蹴っ飛ばすでしょうが、、、
これ、良いですね。ヘンクツ大いに結構。大賛成です。とは言え、【学ぶ=真似る】という図式の学習を否定するものではありません。
先達の遺産は目標または踏み台として大いに活用すべきだと思います。
 

今回の、長野のカズさんの話し

 投稿者:ねんねのくにいくp  投稿日:2009年10月14日(水)05時49分29秒
  は、ほんまになんのことかよーわかれへん。かなりアルコールはいってんのとちゃいますか?
YOUTUBEでいろいろ見るかぎり、たしかに、川井商店の、かくしもってる
ムズィテックは、Vなにがしこえて、かなりいいせんいってると、おもうのですが、
どの道、いちばんみんながひっかかる、蛇腹なんか、この際どうでもええんとちがいますか?たとえば:MIDIAKIさん、ゆーよーに、多岐にわたる音色の種類は、ええことやんか???!!!それできることによって、アコーディオン弾く人は他の楽器の表現の仕方がいろいろ分かる。

僕はね、残念ながら、蛇腹が、いのちとちがうから、(ピッツァがいのちやから)
あるいは、いいかたかえれば、蛇腹とちごて、電子アコーディオンのばあいは、音色そのもので、音楽作っていけるところが、ええとこなんで、。
とりあえずぼくもラテン系と一緒にながいことくらしてるから、こんなわけわからんことしか、かくことできませんが。
 

ミスタッチの話から

 投稿者:長野のkazu  投稿日:2009年10月14日(水)02時05分53秒
   えーっ 先日のミスタッチの話からなのですが、この掲示板の底知れぬ恐ろしさを知りました。 ケンカを売った相手から連絡が来たり励まされたり、投稿はせずとも観ていますね
この掲示板! それこそレッスンでメトロノームを投げられたとか、楽譜を破られたとか
皆様苦労して来たのだなぁ〜(ピアノ教室の事ですが、)と感慨深いです。私も昔レッスン時間なのに子沢山の先生で、上の子はおやつはねだるは、おんぶ紐の赤ちゃんは泣くわで、
とても今考えれば音楽的な場所では無かったです。(その後の先生がミスタッチを許さない先生で、でも今考えて見れば、レッスンでミスを指摘すれさえしれば、音楽的能力やセンス
や能力が無くても、お教室は出来るな〜っ などと思ってますが、、、)その先生の発表会
ときたら、子供は先生の言った事を真に受けますので、舞台袖の出番待ちなどは、顔面蒼白で、膝は震えてガクガクだは、泣き出す子はいるは、阿鼻驚嘆の様相で、とてもこれから音楽を弾く雰囲気では無かったです。せっかく時間や親らもお金を使って、なんと無駄にしているのだろうと、この子達はきっと音楽に対してイヤなトラウマを持つだろうと、、、、 どうもこの国は、川井氏が言っておられる様に、何か新しい音楽や事柄が有ると、暫くは良いのですがその後は、ナントカ財団とか、免許とかいろいろ関係の無い人が出てきて、ナニナニ道みたいな(空手道、柔道みたいな)権威が出来て来てつまらなくして行くのだな〜!
まあアコ道は、皆、大人だし人がやらない事を良しとするヘンクツが多いし、言われても聞く耳は無いよ〜っと、蹴っ飛ばすでしょうが、、、
 そのピアノ教室は今も健在だそうで、可愛そうな犠牲者が生まれ続けていると思うと
心が痛みます。
 

歌謡祭で演奏します

 投稿者:MIDIAKI  投稿日:2009年10月13日(火)20時00分42秒
  暫くぶりに投稿いたします、アコーデォンが主題の話題だけでも、可成りのお話がありますね、とても参考になります、私は頑固一徹で、歌謡曲の伴奏と独奏曲の可能性を高めるため、ひたすら練習々とやっています( 実際は大してやっていませんが )今年の締めくくりとして10月に八王子市の歌謡祭りで30曲程度伴奏します、年々演奏内容が難しくなり、一方、年々演奏レベルは衰えるのでバランスを取るのが大変です、MIDIアコーデォンを伴奏楽器に当てていますが、故障知らず、多岐にわたる音色の種類で結構受けています。
MIDIがもっと進歩して、生のアコーデォンと同じ演奏感覚と音質を持つと、疲れずに楽しく演奏出来る日も夢ではなさそうです。
 

Maugein

 投稿者:川井 浩  投稿日:2009年10月13日(火)07時32分44秒
  以下、カブトガニさんのBROGよりの引用です:

3月に発注しても返事も来なくて忘れかけていたフランス「モジャン」から突然先週土曜日楽器が出来たから月曜日に送るとメールが入った。

なんのこっちゃと思いながら送金したが、金が届かないうちに土曜日にアコーディオンが届いた。

最近の不況で会社が無くなったのだろうと思っていた。
フランス人と付き合いは長いがラテン系民族はいつまでたっても理解出来ない。

http://www18.tok2.com/home/wani/ss/indextop.html

 

秋の空

 投稿者:川井 浩  投稿日:2009年10月11日(日)22時13分5秒
  異常気象で蒸し風呂のようだったNew Orleansから戻ってみれば、成田空港はすがすがしい秋の空。千葉県柏市も同様で、5月の五月晴れに次いで、いい季節、最高の秋晴れ。 連休でお出かけの方もさぞかし多いでしょう。 ススキでも見ながら温泉とか...

一息ついて、さぁて、アコーディオンでも鳴らそうかと思えば早時計は夜の10時を回ってしまった。 赤ちゃん生まれたてのお隣さんの手前、夜は音は出せません。 こんな時は電子アコがあればヘッドホンで弾けるのに....会社に置いてきてしまって手元に無し。

秋の空、アコーディオン恋し、時遅し。   読み人知らず。