BacK Number 323


それでも川井氏を愛するか?  投稿者:銭形警部  投稿日:2008年12月17日(水)06時24分28秒
  多分、推測するところ、プレスリーが、仏壇だといっときながら、いきなり、KOKIAちゃん、とかゆーことになって、そのまま、すがたくらました、川井氏に、ほとんどの、人が、当惑して、何も、ここに、かけないでいるのだと、おもいますから、しかたないから、かきます。確かに僕も、その後、追跡不能で、すみません。

何かくか、というと、この前、話題になってた、たしろさんの、へんきょくされた、フォーレの、夢のあとに、です。それで、多分、たいがいのかたが、この、彼の書いた、譜面みてないと、おもうので、ごく、簡単に、僕から見た、感覚で、今から、譜面見てない人にも、大体、何のことか、わかるように、かきます。

この、曲は、もともと、ピアノ伴奏による、歌曲で、この、ピアノが、近代的な、和音の、響きを使った、非常に、非常にデリーケーと、な、おんがくです。ぼくは、youtube上での、音では、ありますが、かなり、いろいろ、この曲演奏してるの、見てみて、もともとの、譜面こそ、見ては、いませんが、それで、はじめて、きょう、たしろさんの、編曲の譜面みて、ぼくが、見た、いままでの、ふめんのなかでは、一番、むつかしい、ふめんでした。すでに、2小節めから、ようひかんかってがくー、っときて、まあ、とりあえず、かかれてあるとおりの、音、出してみんと、なんともゆわれへんから、この、2分45秒ぐらいの曲、1時間40分ぐらいかけて、とりあえず、さいしょから、さいごまで、おとだしては、みました。非常に、丁寧に、指つかい番号まで、うってある、とてもきちっとしたふめんでした。

例えば、12しょうせつめ、ベースが、小指になってましたが、ぼくは、この、ベースくすりゆびで、和音の方は、Fmおやゆび  Aフラットなかゆび Fdimおやゆび、のほうが、ひきやすかったです。他にも、何箇所か、指定の、指使いより、自分の、指使いの、方が、ひきやすかったとこ、ありましたが、なんせ、とりあえず、押さえるのが、精一杯で、かきとめるの、わすれました。

むしろ、38小節目以降の、左が、単音中心に、動くとこのほうが、やはり、かんたんでした。

確かに、人差し指使うより、親指使う方が、なんだ、このほうが、やりやすいやん!て、とこが、ほとんどで、実際、こんなに、親指使い勝手いい、ふめん、みたのも、はじめてです。

4小説め、19小節目、左ベースの二部音符が、ふてん、なってないのは、たんなる、かきまちがいですよねえ?まあ、そんな、細かい事、この、偉大なふめんと、かんけいないんですが、自分としては、指はなした方が、いいんかどうか、まよいました。おとに、どんかんなもんで。

そして、アコーディオンのスタンダードベースつかって、これほどフォーレ独特の、和音観をつかんだ、譜面は、他には、存在しないでしょう。一時間半いじょうかかって、何とか、音に、出してみて、ゆーてんねんから、まちがいないですよ。

前半、ずーっと、歌右手のみ、伴奏は、左手で、何とかしようとしてる、編曲は、実にフォーレらしくて、だいせいかいだと、おもいます。ただし、めちゃくちゃむつかしい。僕の、能力なら、多分、1年間、ほか、何もやらず、コレばっかし、とりくめば、なんとかなるかも?ゆうかんじですかねえ。

夢のあとに、、、たしろさんの、つくった、この、偉大な、譜面に、たいして、自分が、思う、おおきなまちがいをゆーならば、これは、ぼくおもうに、スタンダードベースのふめんだけど、じっさいには、フリーベースの、ものすごい、厳密にデリケートに、チューニングされた、いい楽器でないと、たしろさんの、期待するような、音には、出てこなくて、そうじゃなくて、むしろ、イヤーナ、感じに、なってしまう、と、おもったことです。僕は、すでに、2,3、しょうせつめで、pくんごうは、
ぜんぜんあかんから、みすてて、あの、岩みたいな、ヴィクトリアの、フリーベースつきで、やってました。もちろん、譜面どおりの、すたんだーどべーすでですよ。ソシタラ、初めて、ちゃんと、音が、フォーレみたいに、なってきました。

それと。たぶんですが、たしろさんは、原譜も、しってますよねえ?ぼくは、しらないです。それでね、僕は、ひとつの、アコーディオンと違う、曲、アコーディオンでやるとき、当たり前の事ですが、僕は、じぶんの、ききとれるはんいでしか、おと、とってません。だって、聞き取れない事は、わからないんだから、ききとれえないんだから、どっちみち、おとには、できないですよねえ。それで、僕は、かなり、鈍感な頬なので、多分、僕が、音取ったら、こんな、厳密な譜面には、ならなかったと、おもいます。はっきしゆって、スタンダードベースの音楽は、たしろさんの、譜面に、あるような、敏感な、音楽には、いや、あるいは、フォーレの音楽には、てきしてないのかも?と、おもいます。いや、もしかしたら、そうじゃなくて、僕の方が、たしろさんよりも、もしかしたら、スタンダードベースで、出来る、アコーディオンの、限界と、それを、克服して、人間の、感じる事の出来る、音の、繊細さと、アコーでイオンで、それに、触れる事の出来る、接点の、追求に、長年、とりくんでいるのかもしれません、(えらそうに、ゆえばですよ、もちろん)
 

もう愛せない - KOKIA  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月14日(日)11時02分57秒
  この曲を聴いたらもうだめ、だ〜っと泣いてしまいました。

もう愛せない - KOKIA
http://jp.youtube.com/watch?v=Vl4WNPaFwOo&feature=related

You Tubeには彼女のすばらしい歌が一杯Upされています。 まだ聴いたことが無い方には是非おすすめします。

KOKIA
http://jp.youtube.com/results?search_query=KOKIA&search_type=&aq=f
 

KOKIA  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月14日(日)10時24分12秒
  一曲目のアレンジにアコーディオンの伴奏がついているというだけのこじつけですが、KOKIAの歌にほれこんでしまったので.....

KOKIA:the power of smile(live)
http://jp.youtube.com/watch?v=tJswJTbYDIw&feature=related

KOKIA - いつか誰かを愛した時 Live in Paris 2007
http://jp.youtube.com/watch?v=zIssnG62ejw&feature=related

KOKIA 「ありがとう」 Live in Paris 2007
http://jp.youtube.com/watch?v=STl8wqvtbqo&feature=related

You Tube上にまだまだいっぱい彼女のいい歌があります。 今朝は朝から涙ぼろぼろ...
 

神出高志さんからのメール  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月13日(土)23時11分1秒
    。○ <;;;; ...         。
○ ;;; ...。...
 ○ <;;; ◎  Music Mind by Takashi Kamide
 ;;;;  < 12/13号>
   ○。 ●。。...       。>  ...

http://kamide.net


未来に手に入れたいモノのために
今ある かけがえのないモノを
ないがしろにしてしまっているときがある

過去に失ってしまったモノを思うあまり
今ある かけがえのないモノを
忘れてしまっているときがある


ものすごく欲しかった
かけがえのないモノなのに

いつか 無くなってしまうかも知れない
かけがえのないモノなのに

でも 日常にとけ込んでしまって
わからなくなってしまっていて

少し立ち止まって
ごくごくありふれた日常にある
そんな かけがえのないモノに気づいたとき

手に入れる必要もない
失うこともない 今 この瞬間を
感謝して 生きていくことが出来るのです

        text  by  kamide  (こころと音の
{diary}より)



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          LIVE
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約1年半ぶりの名古屋です。

☆12月20日(土)

「Apple store 栄」名古屋
iTunes発売記念 インストアライブです!

19:00スタート
料金 無料

〒460-0008
愛知県名古屋市中区栄3-17-15
エフエックスビル
052-238-2400

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


☆12月21日(日)

Art Space of 源 名古屋
アコースティックな響きが美しいLIVE Houseです。

15:20オープン
16:00スタート

いつもより、早めの時間ですのでお間違えの無いように!
料金 前売り¥2500 当日¥2800
〒464-0848 名古屋市千種区春岡1-11-8
TEL・FAX 052-751-2550

http://kamide.net
 

刑事、探偵、忍者、僕なら、忍者をえらびます。  投稿者:服部才蔵  投稿日:2008年12月13日(土)18時35分48秒
  せっかく、久しぶりに、今日は、雨ふってないのに、橋行ったら、大雨で、テヴェレ川、氾濫寸前で、危険状態で、警官みはってて、ひかせて、もらえなかった。仕方ないから、今日は、もう、かえってきて、とりあえず、あしたのてんきから、コンピューターみて、つぎに、掲示板あけてみたら、なにげに書いて、せつめいしたつもりが、こんなことに、なってて、僕も、意図してなかったので、何とかいていいか、ぜんぜんわからないんですが、

 とりあえず、たしろさん、前奏はベースが低すぎて薬の切れた麻薬患者のような、夢遊病者のような感じがちょっと気になります。、ということは、まさしく、タイトルmusette crazyに、ふさわしい!!と、いうことですよねえ!!麻薬患者、夢遊病者、は、pくんの、専門なので、とっても、うれしいです。ありがとうございます。。。これはねえ、あの、feed the birds聞いてもらった、アレと、おんなじ、スイッチです。僕は、多分、いつも、かなり、騒がしい場所で、ばっかし、ひくことが、おおいので、だんだん、みみが、ベースが、はっきり、きこえないと、きがすまなくなってきてるのかもしれません、この、スイッチで、よく、ひきます。後半も、この、特大リードはずしてひくと、かるすぎて、ひょろひょろーというかんじに、きこえてしまい、いやーなかんじに、なっちゃうんですよ。いずれにしても、p君号は、ひだりが、コードが、ほそい、おとで、ベースがはっきりする、きりかえは、7個もスイッチついてるくせして、これしかないんです。ほいでまあ、コレ、やるにあたって、もういっこの、ビクトリアでも、ためしたんですが、(要するに、前奏フリーベース)その方が、前奏は、非常に、きれいなんですが、そのあとが、左が、重たすぎて、やっぱし、バランスわるいやー、ということになって、なかなか、たしろさんが、エクセルシオールコンティネンタルで、不満に、おもわれているのと、たぶん、にたような、もんだいが、あり、なかなか、パーフェクトに、なんでも、できちゃうスーパーアコーディオンは、そんざい、しないんだと、おもいます。しかし、それにしてもp君号は、エクセルシオールコンティネンタルに、比べたら、全体的に薄っぺらい、音で、youtubeで、聞くから、こんな風に、なっちゃうのじゃあなくて、実際、こんなかんじの、がっきです。
 

意図しない形の物の一人歩き  投稿者:たしろ  投稿日:2008年12月13日(土)16時17分50秒
  zenさん
早速のコメントを有り難う御座います。

>フォーレの原曲に対する思いと作者への敬意が
>アレンジで表現しきれなかったもどかしさと、
>その失敗と思えるDVDが広まったことへの無念さ

1行目はその通りです。カザルスの編曲版をチェロで弾いていますので、この曲には特に愛着と思い入れが有ったことは確かです。

2行目は、楽譜を送らせて頂きますので、スタンダードベースの制約下でどの程度表現されているか、是非チェックをお願いしたいと思います。自分としてはオーギュメントの表現は右手に頼らずに左手だけで強行した点に問題を感じていますが、それ以外はまぁまぁの出来ではないかと思っています。先ずは書いたとおり音にしたかった。このことに尽きます。

3行目はその通りですね。意図しない形の物の一人歩きはとても残念です。
 

フォーレの原曲への思い入れとアレンジ  投稿者:ZEN  投稿日:2008年12月13日(土)15時51分5秒
  たしろ様のフォーレの原曲に対する思いと作者への敬意がアレンジで表現しきれなかったもどかしさと、その失敗と思えるDVDが広まったことへの無念さがあったのではないでしょうか?
スタンダードベースで弾くには非常に困難な曲に挑戦なさったご様子ですが、フリーベースアコーデオンは別名クラシックアコーデオンとも呼ばれるように、特にクラシック曲においてスタンダードベースでは表現しきれない和声やアレンジが可能です。
とは言ってもFBでも得手不得手があって、ショパンやリストのピアノ曲のようなことがすべて出来るわけではありません。
たしろ様のようなかたこそ、いちどフリーベースにトライなさるべきだと思います。
実際にFBをやってみるとその利点と限界もわかりますし、逆にSBのよさも見えてきます。
 

有り難う御座います  投稿者:たしろ  投稿日:2008年12月13日(土)14時44分12秒
  僕の書き方が悪かったため話がずれてしまったようでしたが、川井さんが少し近付いて下さったようで嬉しいです。確かに、「著作権」という文字を見た途端、人が想定するのは法に触れるのかどうかですから、舌足らずで失礼しました。

およそ法律なんて言う物は、実態の後追いですからその精神こそが重要なのですが、なかなかその本来の趣旨を理解して対応することは難しいものだと思います。

川井さんが少し近付いて下さったと感じたものの、未だ違うと感じている部分は何かを申し上げます。それは、編曲についての部分で、気持ちは恥ずかしいというよりは申し訳ない、いやそれは違うんだというものです。簡単に言えば、折角準備期間の殆ど90%以上の時間を充てて編曲に取り組んで来たのに、それはアコをもっと知るため、そしてその方が残されたアコ人生をトータルでより良い物に出来ると判断して自分のために取り組んでいる課題ですが、それが音に出来なかった悔しさ、申し訳なさです。こんなことを公表しなくても、当日聞いて下さった方には感じて頂けたと思いますが、DVDのコピーが一人歩きしたのではどうにもなりません。

前にも書きましたが、取り組んだ曲はフォーレの「夢の後に」です。たった64小節の短い曲ですが、原曲はピアノ伴奏による歌曲です。古典和声とは違ってドビュッシーに至る過程の独特な近代和声に特徴があり、この曲はピアノのような減衰音ではなくパイプオルガンのような持続音で演奏されることはフォーレ自身は想定していなかったのであろうか?という疑問から出発してアコーディオンで演奏したらどうなるだろうか?楽器の制約との間で何処まで再現が可能か?という問いかけに応えるため敢えてフィンガリングも含めて困難な方法にチャレンジしました。

もし、ご覧頂ける方があれば、pdfにしたA42ページの楽譜を差し上げますのでメールを下さい。そしてご指導を宜しくお願いします。(同情などは無用に願います。)
(96ベース以上の楽器が必要ですが、楽器によってメロディラインを殺さないように低音を鳴らすにはセレクタの設定をかなり慎重に選ぶ必要が有ると思います。自分としては、あまりにも実験的な物で失敗作ではありますが、もしも別の楽器を手に入れる機会があればまた弾いてみたいと思って居ます。)
 

おもいやりと羞恥心  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月13日(土)12時58分27秒
  たしろ様のおっしゃることがようやく見えてきました。 人がいやだいやだといっていることをわざとするというのは意地悪です。 取られたくない写真をフォーカスされて迷惑なタレントは一方では反省すべき点もあるかもしれませんが、プライベートな部分とかはそっとしておいてほしいと思うのは人情。 おっと、タレントにプライベートはあるのか? という議論に行かないように自分を軌道修正して...と。 自分のポートレートを取ってもらうのにも皆さんやはり自信のある角度があるようです。 そっちの角度から撮っちゃだめ! なんていわれることもあります。 合コンで意中の人が自分の顔のいい角度を見る位置に来たときはラッキー、あるいはそれを承知で席決めをする人がいたりして。 たまたま自分の自信の無い顔の角度の方に意中の人がすわっちゃったらどうしましょう?

でも、その意中の人が自分の自信の無い角度の顔やしぐさを気に入って、いい関係に発展するなんて可能性も無くは無いし、そんなこと人はまったく感じても考えてもいないと言う場合のほうが多いのではないだろうか? むしろ、完璧な顔の造りではなく、人が求めて評価するのは人生に対する真摯な態度だったり、本人が気づいていないちょっとしたしぐさだったり、笑ったときに見える奥歯の治療跡だったり。 まして、いつもコンプレックスを感じていたなにかを逆に好きになってくれる場合だってあるんです。 本人が完璧じゃないから恥ずかしいと思っていることを他の人は本人が思うほどそれほどひどいとか、悪いとか思っていないのではないでしょうか? でも、さすがに、事前に自分のこの点は自分としてはいやだからその点については話さないでくださいとか、見ないでくださいとか、見ない振りをしてくださいとも言えないし、他の人が何かをとらえてひどい、悪いと嘲笑しているならともかくですが、ご自身がはずかしいと思うほど他の人は悪く思わないものだと思いますよ。 もっとも、ある事柄から今後その映像を流布するのは困る、とはっきりおっしゃられたので、今後はその映像が一人歩きすることは無いと思います。 ただ、私としては完璧なものが出来てから発表したいというお気持ちも大事だと思いますが、ある理論なり理想に向かってチャレンジしている姿を発表して諸兄のご判断を仰いだり、ご批判を受けるというのは自己向上のチャンスでもあり、また皆でいろいろなものにチャレンジするきっかけにもなるので、是非自信をもって未完成品でも発表してそのもくろんだところを説明いただくことがあればさらに豊かなアコ文化の発展に寄与するのではないかと、大上段に申し上げたい。 かのドイツの音楽大学で教鞭を取る御喜美江先生でさえ、彼女のBLOGの正式タイトルを「道の途中で」としているのは、ご本人に確認したわけではありませんが、ドイツ語でいうところの「Auf dem Weg」、つまり決して完成することの無い、常に変化生成するという人間の本質をといたドイツ哲学でいうところの実存主義に基づく深い意味のある言葉なのだと理解しています。 彼女自身でも快心の演奏というのはあるでしょうが、完成ということは無い、日々これチャレンジということをおっしゃりたいのだと思っています。 WhatではなくHow、Was では無く Wieしか存在しないという認識に立てば、そのたしろ様のチャレンジそのものが実存でありまさに人間活動そのものだと思えるのです。 おそらくたしろ様はおくゆかしいはずかしがりやさんなのだと思います。 ご本人がいやだということをはっきりさせた以上これ以上の流布は無いでしょうが、むしろみなさんはたしろさんのチャレンジを高く評価するのでは無いかと思います。 その成果物がだれにどのような評価を受けるにせよ。
 

re:責任が、あるのです。  投稿者:たしろ  投稿日:2008年12月13日(土)12時06分51秒
  いやー、感激しました。素晴らしい!
ここにはアコーディオン演奏を前提とした編曲について、先頃著作権のテーマで僕が大切にしたいと考えていた正にそのことが立派に書かれていました。

>アコーディオンはね、ひとりで、かなりのことが、できちゃう楽器だから、よけいにね、よーく、心して、取り組まないと、アコーディオンの、アコーディオンで、やりやすいような、非常に薄っぺらい、感覚の、なんと言うか、コレが、アコーディオンなんや!という、安っぽい音楽に、なってしまいます。そうじゃなくってね、大事な事は、音楽を、つたえるることなのだから、そのためには、時には、アコーディオンで、かなりやりにくいことでも、やらなければいけないときが、ある。と、いつも、おもっています。

また、同文に対する川井氏のコメント
>アコで演奏するためのアレンジャー兼アコプレイヤーとしての気配り、思いやり、やさしさ、経験あふれるコメントに感動しています。 そしてアコが好きであればあるほど、あるいはアコに期待すればするほど、創造の喜びよりも、むしろ苦しみ、あせり、焦燥感、限界、を感じつつ、その限界に挑戦する戦士としてのP探偵の姿を彷彿とさせる一文

も立場の違いこそあれ全く同様ですが、これこれ、この責任意識、そしてそれらを尊重する気持ち、これです!

先日著作権を巡って議論がありましたが、ここで作曲者や編曲者や演奏者に対して尊重されなければならない著作権は、金銭の授受を伴わない形であっても立派に存在するすることはこれらの説明から十分伝わってくると思います。著作権という言葉を使った途端に白い目で見られがちですが、金銭の問題以前に目を向けるべき、心を砕くべきことが明瞭に書かれていますが、法律がやってくれないなら関係者による申し合わせとか、一般ルールとか、社会的なマナーとか、常識とか言い方は何でも良いけれどしっかり共通認識が欲しいところです。

改めて
zenさんのオリジナル演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=pAkSU2Ngsmw

hideshikibiさんりによるアレンジ&演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=qYUDwAhRgec

を聞かせて頂きましたが、ZENさんが感激されたのが良く分かります。
特に後半の分散和音や装飾音型で原曲のエスプリを生かしているのは流石だと思いますし、演奏も技巧的でありながら流麗で素晴らしいと思いました。
(ただ、自分の好みとしては、前奏はベースが低すぎて薬の切れた麻薬患者のような、夢遊病者のような感じがちょっと気になります。後半の高音部への展開との対比は面白いけれど、ここはベースをオクターヴ上げるとかしてオリジナルの軽さを生かして頂いた方が聞きやすいかも。)