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Settimio Soprani Artist VI = Scandalli Super VI  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年 4月27日(日)22時28分35秒
  アコーディオンの父と言われるイタリアでのアコーディオン製造の基となったPaolo Sopraniの弟のSettimio Sopraniが作って高い評価を得たArtist VIは今の車で言えばメルセデスベンツのマイバッハのようなもので、その内製リードの質の高さは今ではお金では買えないといわれるものだったようだ。 Settimio SopraniとScandalliが合併して社名がScandalliに統一された後は、この有名なArtist VIはScandalli Super VIと名を変えて販売された。 これが、Scandalli Super VIが世界で名高い背景です。 当時のScandalli VIはそれこそベンツのマイバッハだったということができると思います。 その評判の高さゆえに、そのグリルデザインをほぼコピーして安く販売してきたのがGuerriniだ。 製品はまるで異なるものですが。 Settimio Sopraniを合併したScandalliもその後、アメリカ巨大楽器メーカーBontempiにより、Paolo Sopraniなどと合併してFarfisaという当時イタリア最大のアコメーカーになるが、Bontempiの撤退により、Scandalli Super VIやPaolo SopraniブランドのアコはMenghini社との合弁による別の会社組織となる。 その後、内部のオーナーシップの変更などにより、SEMとも一緒になり、現在Scandalli Super VIを製造しているメーカーの名前はSuoni社だ。 Suoniとはイタリア語でサウンドという意味だとか。 12歳からアコを習い始め18歳でワールドチャンピオンになったMirco Patarini氏は現在このScandalli Super VIを製造するSuoni社の取締役でオーナーの一人。 彼の愛用するアコはScandalliのFree Base付きの45鍵盤ピアノタイプアコだ。 彼によれば、やはりScandalli Super VIという名作を今日でも同じ品質性能を持たせるようにあらゆる努力をしているが、メルセデスベンツのマイバッハとも比較されるかつてのSettimio Artist VI、あるいはScandalli Super VIの品質・性能を100%再現することは難しいと述べている(下記の興味あるインタビューをご参照ください)。 今年の3月のフランクフルトのドイツ楽器展ではこの歴史的なScandalli Super VIにあらたに"Air"という軽量タイプを発表して話題を撒いた。 歴史上のアコをそのまま造り続けるだけでなく、時代の要請に基づき常に改善していくというのも同社のポリシーとして好感が持てる。 カブトガニさんが実際にご愛用になさっていたのはまさに、このベンツのマイバッハとも比較される世にも名高いSettimio Sopraniだったことは間違いないと思います。 今、このモデルをお持ちの方はお宅にベンツのマイバッハがあると思ってもいいと思います。 こんなモデルがでてくれば、100%レストアしてみたいです。 本日は、千葉県からお一人私のアコの花園にお遊びにこられて、いろいろなタイプのアコを比較した結果、最後に鳴らした中古のScandalli Super VIがなんといってもベストだとのコメントをいただきました。 このアコはまだネットの販売には出していません。 入手して早半年になるのですが、ネットに出してどなたかに買っていかれてしまうのが惜しくて、まだ出していません。 オランダの有名なタンゴオーケストラのマランド楽団ですが、ミスター・マランドも愛用していたのがこのScandalli Super VIでした。 これで弾くオレ・ガッパの気分はマランド。 カブトガニさんの普通のサラリーマンの数倍の給料だったキャバレーの月給の5年分の価格で購入なさったといわれても、これなら納得がいきますね。 今、そんなアコはありません。 せめて月給の何倍かの値段のアコを買わないと、それなりの音色は出ないと割り切れば、お安く買ったアコの音色にはそれなりのコストパーフォーマンスがあるという慰みにもなるかもしれません。 ただ、今もっていて、気に入っているアコと違う世界があるのだということはおぼろげながらでもご理解いただけたかも知れませんが、実際にそんなアコに触れてみると、これまで人生を無駄に生きてきたような気分にもなり、また、残された人生をこれで終わらせたくないと思えるようになるから不思議です。 アコの花園から抜けられません。 皆様にも是非ご体験していただきたく存じます。 とくに、エキセルとブガリしか知らずにこれでいいのだと思っている人。 人生が変わります。

http://accordions.com/interviews/patarini/index.shtml

 

Rolling Home  投稿者:Hiroshi Kawai  投稿日:2008年 4月27日(日)00時00分21秒
  I am just waiting for the departure from the Singapore Airport for Narita at 23:40. I shall arrive Narita on Sunday Morning. Thoese who are interested in visiting me, should please send me an e-mail or a all from Sunday noon time on. See you soon.  

同族発見  投稿者:カブトガニ  投稿日:2008年 4月26日(土)18時39分17秒
  Mr.MORINO様「誰か故郷を想はざる」のイントロで苦労した同族とは嬉しいですね、当時アコを始めた人の多くがこの曲を手掛けたのですね。
下の貴方のコメントにあるセッチミオ・スーパーY ダブル・チャンバーは昭和30年ころ45万円で購入し、以後35年ほど使いましたが今でも名器と思っています。
これ以上のはパリで見つけ衝動買いした中古の「ゴラ」5セット、ダブル・チャンバー45鍵185フリー・ベースでこれ以上のアコーディオンはありませんが、私では使いきれませんでした。

http://www18.tok2.com/home/wani/ss/sumiyatop.htm

 

懐かしさに!!  投稿者:Mr MORINO  投稿日:2008年 4月26日(土)12時11分0秒
  カブトガニ様 懐かしく読ませて頂きました、慰問団の事は漫才の内海 桂子師匠から色々お聞きした中で「あの時の苦労に勝るものはない」と厳寒の中国北部を貨車で移動されたなど過酷な前線慰問の数々を語って呉れました。終戦後ヤマハの18ベースで素人のど自慢の伴奏をしてた小生に立ちはだかったのも、「誰か故郷を想わざる」の前奏でした。ボタンアコで挑戦して挫折も味わってます。  

戦中戦後のアコ  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年 4月26日(土)12時06分52秒
  カブトガニ様、貴重な情報をありがとうございます。「慰安部隊」と「慰問団」を一緒にしては当時のそれぞれの当事者に申し訳ないことでした。 あらためて勉強になりました。「戦後縁日などで戦闘帽を被り白衣を着て「異国の丘」など物悲しく弾いて物乞いしていた人たちの中には本物の戦傷者が居たかも知れませんが、殆んどが贋物、ましてアコーディオン弾きの成れの果てなど居ません」との情報には私も唖然。 確かに、昭和30年近くまで戦闘帽をかぶり白衣を着ている人がいたのはおかしいといえばおかしいと気づくべきだったかもしれませんね。しかし、あの姿を見ると、朝鮮動乱景気に浮かれている世相から、まずその戦争の現実へと引き戻される感じがして子供心にもドキッとしたものでした。
そうですか、本物のアコ弾きは戦後は逆に相当なビジネスになっていたのですね。 そういえば、私にアコの手ほどきをしてくれたハンブルグ出身の老音楽家はやはり、戦時中は苦しかったが、戦後は苦しい思いをしたことは一度もないといっていました。 Moral: 「アコは身を助ける。」 そしてアコの値段は高給取りだったカブトガニさんの月給の5年分! 東ドイツの当時のトラバントのような値段だ。 今は、アコが、お安いいい時代になったのです。 皆さん、せめて月給の10倍程度のいいアコを買いましょう。 あ、また極端に走っている私。
 

熱帯仕様アコ  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年 4月26日(土)11時54分27秒
  T.Tanakaさんからいただいたメールですが、公開しちゃいますね。

「掲示板を見ました。正確には Paolo Soprani Antitropic  です。シンガポールではアコは使われていないようですが、同じ熱帯でもタヒチでは使われているようです。フランス領と言う事も有るのかもしれませんが何故Tahitian Musicにアコが?と聞いたところハワイではスチールギターを使うのですがタヒチでは使いません。その代りアコを使うのだと言っていました。真偽のほどは分かりませんが・・・・しかしあの暑さではワックスが溶けてしまうと思うのでやはり熱帯仕様というものが有るのかも知れませんね。私が熱帯仕様のアコを作っていると聞いたメーカーはHohnerです。でもかなり昔の話です。」
 

私の記憶  投稿者:カブトガニ  投稿日:2008年 4月26日(土)07時34分13秒
  戦時中の前線慰問に歌手の伴奏に移動にも便利で手軽なアコーディオン弾きが多く狩り出されましたが、当時はプロのアコーディオ二ストが少なく、内地で軍需工場慰問などしていたアマチュアが満州、中国などに派遣されました。

何故か南方戦線に従軍画家など多く行きましたが、アコーディオン弾きが行った話は聞きません。
因みに「慰安部隊」とは慰安婦の事で演芸・音楽などは「慰問団」と云っていました。
南洋向けのアコがあるとは聞いた事が有りませんでした。

戦後縁日などで戦闘帽を被り白衣を着て「異国の丘」など物悲しく弾いて物乞いしていた人たちの中には本物の戦傷者が居たかも知れませんが、殆んどが贋物、ましてアコーディオン弾きの
成れの果てなど居ません、戦後復興時はキャバレー・ダンスホールなどでアコーディオン弾きはアコを持っているいるだけでひっぱりダコ、私など「誰か故郷を想わざる」の前奏も弾けないのにダンスホールでサラリーマンの4倍くらいのギャラを貰っていました。

この頃は戦災などでアコーディオンの値段が高く、41鍵120ベースでイタリー物だと9万ー18万円くらいで、私のパオロ・ソプラニー140ベースが18万円でした、その時キャバレーの月給がなんと3000円でした。

http://www18.tok2.com/home/wani/ss/sumiyatop.htm

 

熱帯用アコ  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年 4月25日(金)08時48分32秒
  シンガポールの取引先と食事をしながらアコーディオンの話に触れたとき、「アコーディオンって、な〜に?」、「え、楽器なの?」、「あ、知ってるそれ、かなりマイナーでしょ。」なんて反応を得て、どうせそうだろうとは思っていましたが、いまさらながら一般の人、それも南洋の人にはアコーディオンというものは縁が遠いものだと思いました。 しかし、こんな赤道直下の元戦場にはアコを担がされて戦意高揚のため、お国のためといって、慰安部隊が音楽を奏でていた時期もあったはずで、土砂降りのスコールを避けつつ、アコを鳴らしていた人もいたのだと考えると、熱帯のジャングルのなかで、大本営から見捨てられ、全員玉砕を命じられた当時この戦場に送り込まれた日本兵のことを思わざるを得ませんでした。 たしか、げげげの鬼太郎の作者のみずきしげるもこのあたりの戦場に送り込まれ、その壮絶な状況を漫画で書き綴っていると思います。 ♪わたしぃの、ラバさぁ〜ん、南洋じゃ美人〜♪なんてのんきな歌を歌っていられたのはほんの一時期のことか、あるいは現場ではそんな歌を歌っていた兵士は一人もいなかったのではないかとも思われます、少なくとも戦争末期は。 もっとも、当地にもきれいですてきな女性はいますから、戦場に咲いた恋があったとしてもおかしくはないか。 明日をも知れぬ命と熱帯の自然のなかで出会う現地の女性との恋、うーむ、これはありだな。 昔、池部良の出ていた映画で、ブンガワンソロとかの歌がでてくる映画を見たことをおぼろげながらに思い出しました。 たしか、黄熱病に犯された池部良扮する日本脱走兵が特効薬(といっても大して効かないようですが)のキニーネを現地の娘からもらう、とか、ストーリーはもう覚えてませんが、あの舞台もシンガポールの対岸のインドネシアあたりが舞台だったかな。 硫黄島の悲劇や、沖縄の悲劇、広島や長崎の悲劇、東京大空襲だってあったんですよ。 そんな時代があったことを忘れてはいけないし、そんな大暴れした日本に陵辱された国々の人々の記憶や気持ちも忘れてはいけないと思います。 それを日本は東南アジアを開放したのだという方向のプロパガンダを流し続け、教科書にはそのような事実を記述しない日本の政府の態度を外国に来ると非常に不愉快で恥ずかしいことだと感じることが多々あります。 いろいろな動機に基づく情報に一喜一憂、右往左往してはいけませんが、平和は努力して作るものだということは、米国の軽々しい戦争の結果を見るまでも無く明らかですよね。 あ、いつの間にか政治の話になってしまいました。 すみません。 管理人の独断と偏見ということでご容赦ください。ところで、大きく寄り道してしまった話題というのは、南洋向けのアコというものが存在しているということを友人のT.Tanakaさんから教えていただいたからです。 彼が最近入手したアコにはTropicalの文字がついているようで、リードをリードブロックに取り付けるために使用する蜜蝋なり、リードの取り付け方法とか、場合によってはリードの材質などにも工夫があるのかも知れませんね。 いずれ見せていただけるものと期待しております。 当時の慰安部隊の使用していたアコも熱帯用アコだったんだろうか? 当時の軍の装備品や車両や飛行機などの性能や品質は今に比べれば格段に劣り、それもなにもかもが欠乏していた時代の代物なので、そんなものを使って戦うこと自体が無理だったものもかなりあるらしいので、アコも相当苦労して使用していたのかも知れない。 あるいは、アコは北方作戦のみにしか使用されなかったのだろうか。 最終的には上野駅の西郷さんの銅像の下や方々の電車の駅前で、白のかすりの着物に松葉杖のアコ弾きを多く見かけたがあれが慰問部隊のその後の生活で、この人たちは戦場に同僚たちを鼓舞して送り出す役をやらされたうえに、自らも負傷し、心の傷もいえぬまま厳しい人生を強いられたんですね。 小さなアコが多かったような気がしています。 国産品だったんでしょうね。 そんなアコを作っていたのはどこのメーカーだろう。 本来は人を元気付け、勇気付け、楽しませるための楽器まで動員されて戦場に駆り出されるなんて、二度とあってはなりません。  

シンガポール午前一時32℃  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年 4月24日(木)02時38分2秒
  今日からシンガポールで、日曜日に帰国します。 というわけで今週はアコーデオン屋さんはお休みです。 昨晩の痛飲がひびいて、今朝目が覚めたら二日酔いで頭が朦朧としていた。 今日は午前11時半にシンガポールに飛ぶので成田には9時には着かなければならない、ということを思い出すまでにちょっと時間がかかった。 ということは7時には家を出なくてはいけない。 といっても、昨日はどうやって家に帰ったのかわからないほどなので、当然海外出張の準備はぜんぜんできていない。 湯船にぬるくなったお湯があったので、お湯ははったもののそのまま入浴しないで寝込んでしまったらしい。 航空券引換え証が手元にないぞ、あ、会社に忘れてきている。 だめじゃん! ワイシャツをたたむ時間もないので、3−4枚、と背広と洗面道具をかばんに投げ込む。 あときっと忘れ物がありそうか気がするが、もう時間がない。 表に飛び出すとジーンズに運動靴だけど、あとで背広に着替えたときに運動靴じゃぁ、まずいでしょう。 だめじゃん! 家に戻り靴を履き替える。 車に飛び乗り、まずは会社へ航空券引換え証を取りに行く。 あ、パソコンももってかなきゃ。 あとは、成田まで75kmをぶっ飛ばしたいけど、通勤渋滞と二日酔い。 特に成田市内は年に何回も無い、とパーキング場のマイクロバスの運ちゃんがいうほどの原因不明の渋滞。 思わず睡魔が襲うがなんとか無事到着。 パスポートコントロールのところで調べに入ってきた係官のお姉さんの胸のIDカードの写真と今風のヘアスタイルがまったく違うので別人に見えるのがおかしい。 成田空港に到着し、チェックインを無事終え、急ぐゲート番号を慎重に確認する。 以前、座席番号をゲート番号と間違えて、エアポート内を走りまくり、乗り遅れそうになった失敗を思い出す。 無事シンガポール空港に到着し乗ったタクシーの運ちゃんが日本の演歌・歌謡曲大好き人間で「しらかば〜、そよかぁ〜ぜ、」などとCDにあわせて歌っている。 その運ちゃんいわく、シンガポールではチューインガムは禁止。 見つかると逮捕・罰金だ、という。 私が眠気覚ましにかったチューインガムがポケットに入っていることは口にだしていえなかった。 ホテルでかばんの一番底に隠した。 当地は夜でも32℃。 それでも昼間よりは涼しいらしい。 夜遅くまで人が表ですずんでいる。 取引先との会食を終え、ホテルに戻って、パソコンで仕事を始めたら全フロアが停電でネットにもつながらない。 廊下にでてみると到着したばかりのキャセイパシフィックの客室アテンダントさん10人ほどが部屋に入れないと右往左往している。 こちらも、これ以上仕事ができないので、ベッドに入って、うとうとしたら電気がぱっとついて眠れません。 ネットもつながったので、ちょっとご報告を書いて、もう一度おやすみなさい。  

今日の旅立ち  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年 4月21日(月)22時39分35秒
  マルカートさんこと、タテヤマユキさんにだかれてデレーっとしてはいないものの、幸せそうなのはHohner Concerto III君。 およそ50年近く前に生まれたのに、あ、マルカートさんのことではありませんHohner Concerto III君のことですが、まるでいま生まれたかのような初々しさ、美しい...(これはマルカートさんもそうですけど....)。 当時のホーナーには力がみなぎっていた。 小さいけど大人の味がする憧れのホーナーサウンド。 ハモニカでもホーナーの音色は一味も二味も違っていた、んですよね? 高くて買えなかったから本当は知らないんですけど....。 このHohner Concerto III君は幸せにもマルカートさんのところでご奉公することになったわけです。 夜も昼も彼女と一緒なんです。 うらやましい!