|
はじめは偶然に目にしたLojze Slak楽団のv dolni
tihiの舞台演奏での熱狂でした。 まずはこの聴衆の熱狂に驚き、不思議な感覚に捕らえられ、演奏が終わる前にすでに涙がでていたことを思い出します。 強烈な印象でした。 こんなおじいさんが舞台でアコ一台とギター、ベース、コーラスで館内総立ちの聴衆がうなりをたててゆれて大唱和している光景はほとんどショックでした。 そんな曲を聴いてみたくて、イタリアからドイツに急ぎかえらなくてはならない1千kmの自動車の旅を急遽思い立ってスロベニアにハンドルを切ったのもなにかせかされるものがあったように記憶しています。 おりしも到来した嵐と落雷と大雨のなか真夜中に地図も無いまま到着したLjubjanaでやっと見つけたホテルで一夜明ければ快晴の6月の初夏の雨で洗い流されてすがすがしいLjubjanaの町並みの週末。 そこは昨晩がうそのように天国に一番近い国のような風情。 市の中心に向かって川沿いに歩けば、どこからとも無く聞こえてくる聞き覚えのある音楽。 v
dolini
tihiだ! どこから聞こえてくるのかむなしくその音色の流れてくる方角を探すLjuljanica河のほとり。 かすかに聞こえる音色をたどればそこは川沿いの町の市のたつ広場だ。 若い3人のグループがSteyrisch
Harmonikaとギター二台で演奏し歌っていた。 それがZdolmarjiのグループだ。 v dolini
tihiには感動したことを伝えたときにその若者の目がかがやいたことを忘れない。 この美しい歌の意味が知りたいと伝えたのが6月の16日の土曜日。 昨日になってこの若者からメールが入り、僕との出会いを忘れていない。 英訳を送る。 新しくメンバーを一人加えて、4人となり、Web
Siteも開いたということだった。 その出会いについては「アコーディオン彷徨」の今年のレポートに詳しいので、ご参照ください。 うれしい出会いでした。 そして、このv
dolini
tihiという歌が言葉の意味を超えてメロディーだけでも人の心をつかみ、離さないということを実感しました。 もちろん、言葉の意味がわかればさらにその意味の深さも胸を打つものでした。 今回は残念ながら思いつきでイタリアからドイツに帰る途中で立ち寄ったSlovenjaでしたが、いつかもっとゆっくりと時間をとって、Slovenja、Croatia、Bosnia-Herzegovina、
Montenegro、Serviaなどを旅してみたい。 Bosniaに入ればそこはもうかなりアラブ圏。 この文化のルツボ感がなんとも魅力的だ。物事の価値を図る基準がこれほどに違って見える文化が隣り合い、交じり合い、主張しあう地域も珍しく感じます。 そしてどれもがそれぞれに美しく、自己主張している。 残念ながら、文化の違いや言語・風習・宗教の違いが摩擦を呼んで、一部ではまだ内戦状態にあることも確かだ。 それもわれわれが共存していくための知恵・手段を提供してくれそうな気分にもなるのです。 それぞれの文化の歴史としがらみのなかで独自の文化を色濃く保存しようとする気分が高まれば高いほど民族的な特徴や自己主張がみられて、この地方の民謡、民族舞踊、民族衣装、食事、風習などなど興味は尽きない。 美しい自然の残る地域ながら、一歩道路を踏み外せばそこは地雷原だったりする悲しい現実もある。 現実は美しいものばかりでもない。 経済は破綻しているだろう。 政治も未成熟だろう。 マフィアやギャングも横行しているだろう。 いまだに暴力がまかり通っている場所もあるのだろう。 治安もまだ100%とはいえないだろう。 長期の共産独裁政権による密告制度から人心がみだれ人間不信に陥っている人も多いだろう。 宗教間の摩擦も火種が消えたわけではない。 憎悪が憎悪を生む憎悪の悪循環も断ち切るのは容易では無いだろう。 そんななかで歌われるv
dolini tihiやDa te mogu pismom
zvatiは遠い極東のこの地において聴いても涙と感動を誘う人生の応援歌なのだろう。 日本の戦後にはりんごの歌があり、新雪があり、東京キッドがあった。 これらの国の将来が安らかなものであることを祈りたい。 そしてアコが、歌が、そんな苦悩を乗り越えるときの大いなる力になっていることをアコ好きとして誇りに思いたい。
|
|
|