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よく考えれば、はやり歌というものはそれぞれの時代時代に存在していたわけですね。 万葉の昔から、ご法度でがんじがらめだった江戸時代の農民や一般庶民の間にも禁じられても歌われた歌や、詩があったわけです。 長い間、祖国をもてなかったユダヤの民が迫害にあいながらも民族としてのIdentity・まとまりを保てたのも民族共通の思いに基づいた歌や踊りがあったともいわれる。戦時中のおしつけで軍歌を歌わせるのも軍部が兵士の士気を鼓舞したり、死ぬことへの恐怖を薄めさせるためという歌や詩の悪用もあれば、いくら軍部が禁じても兵隊が歌ってしまう歌もあった。 第二次世界大戦の末期、疲弊したドイツ軍の兵士も死の恐怖と戦いながら突撃した連合軍の兵士も同様に歌ったのが「リリー・マルレーン」だ。 敵軍の歌うリリー・マルレーンを聴いて、思わず合唱してしまった兵士もいたという。 亡命先の英国で祖国ドイツを思って英語で歌ったマレーネ・ディートリッヒの想いはいかばかりだったろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=nfllUtxDriA
第一次世界大戦の末期、1918年に戦争に疲弊した兵士の間にも、兵士の帰りを待つ祖国の人々にも歌われたのが「Til
we meet again」だ。 http://www.firstworldwar.com/audio/tillwemeetagain.htm
ブルガリアまでつれてこられたロシア兵が歌った「バルカンの星の下に」も、おそらくロシア軍の軍部は兵士がこの歌を歌うのを禁じていたに違いない。 「♪おどんがぼんぎりぼんぎり」と歌う防人の歌も、おそらく禁じられた歌だったろう。 阿九悠という作詞家がどれほどのヒット曲を生んだかもしれないが、本人の弁でもまさかヒットする詩をつくれるなんて考えたこともなかったと言っている。時代が彼を作ったという面もあるのだろう。
また流行歌手あるいはアイドルというのもいつの時代にも存在してきたわけですね。 なぜか突然流行歌手になってしまい、本当の自分とスター(虚像)としての自分の見分けがつかなくなってしまい、精神的に耐えられなくなってだめになってしまったスターも多い。 私の神様エルビスもその突然のスターダムの中に自らを見失い、崩れて去ってしまった過程をみるのは悲惨だ。 水原弘が飲みすぎで死んだのは急にスターになったためかどうかの因果関係の証明はありませんが、おそらくそうだったんでしょう。 若いころ一時もてはやされたアイドル女優がその夢を捨てきれずいつまでもスター気分でいるこっけいで悲惨な状況はそれ自体がよく映画化されるテーマだ。 無声映画の大女優がトーキーになってその方言丸出しの悪声で主役の座を下ろされ、逆に歌や踊りのうまい新人女優にとって代わられるのを痛快に描いたのがミュージカルの傑作「雨に歌えば」だ。 時代時代にスターもはやり歌も変わる。 いつの時代にもはやり歌がある。 いまでもきっとはやり歌がある。 今のはやり歌に気分的に乗っかれない私、還暦のおじさん。 昔のはやり歌の方が感動する。 これ歳のせい。 いたしかたない。 インディアン嘘つかない。
http://video.google.com/videoplay?docid=4797627620551170412
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