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全く同感  投稿者:アコKENWA  投稿日:2007年 8月11日(土)21時21分12秒
   きたのさん 全く同感です。
 私は、いつも、「童謡・唱歌・心の歌」を20冊ほど車に積んでいます。
 40人以上ですと、印刷した歌詞本(自分で選曲・編集したモノ)を使うのですが、それ以下の人数で、たまたま喫茶店などで居合わせた人たちと歌うときは、この本を車から運んで使います。いい歌ばかりですよね。
 歌声グループの会員さんにもこの本を買ってもらっています。
 ところで、昨年、歌い継ぎたい歌というのが発表されましたが、これと、歌いたい歌というのは、少し違うような気がしています。
 「赤とんぼ」や「ふるさと」などよりも、実際には、「あざみの歌」が好かれているような気がします。「あざみの歌」から歌い始めて、「あざみの歌」で歌い終わる、そんな会場が結構多いのです。この春、遠く諏訪市を訪ねたとき、歌声コーラスのポスターが貼ってありました。その中に、「あざみの歌」の活字を見たとき、やっぱりそうかと、嬉しくなりました。
 自分流には、「荒城の月」(明治34年)と「古城」(昭和34年)を組み合わせ、また、「ふるさと」と「誰か故郷を想わざる」を組み合わせ、その背景を語ることによって喜んで歌ってもらうことがあります。
 このように、歌一つ一つについて思いを語り、アコーディオンの下手な分をカバーしています。ごまかしているだけかもしれませんが・・・。
 元々は、いろんな場の講演の中でアコーディオンを弾いていたのですが、この春、完全にリタイヤしてからは、「みんなで歌えばなおなおうれし」(「リンゴの唄」より)をテーマに、下手なアコーディオンを弾きまくっています。
 きたのさん。 この本の最後の曲が「リンゴの唄」ですよね。お互い、この本を大事にしていきたいですね。
 

re:歌の伴奏  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 8月11日(土)18時40分59秒
  MIDIAKIさん
>歌の伴奏は、私にとって楽器を歌わせる訓練になって、独奏曲の表現にも反映される気がしていますが、如何ですか?

全く同感です。この問題意識は達者にアコをこなされるMIDIAKIさんらしいですね。歌は息継ぎの間を一つのフレーズとして作られている場合が多いので、情感に合わせて楽器を歌わせる練習には歌の伴奏はとても良いのではないでしょうか。また、楽器で演奏することは、歌うことと同じだと思います。言葉を伴わない分、歌ってやらないと曲にならないように思いますが、これは器楽曲の場合でも勿論同じだと思います。

ところで、僕は歌が大好きです。独唱も合唱も致しましたが、喉が弱いので総て趣味の世界ですが殆ど器楽畑を歩きました。オーケストラや室内楽でフルート、ファゴット、チェロに親しみ、今アコーディオンに辿り着いたところですが、アコーディオンを弾くときはまだまだ表現力の不足を感じます。上手な人の演奏にはしっかり歌があるのが分かりますので奥が深いのを感じます。

ファゴットを吹いていた当時、今から40年近く昔の話になりますが、当時信奉していたポール・オンニュというパリ・バロックのファゴット吹きがソルフェージュの重要性を説いていたのが未だに強く記憶に残って居ます。楽器をやる人は、楽譜を見て(楽器に頼るのではなく)自分で声を出して表現するトレーニングをするのもとても良いことだと思います。
 

心に残る曲集  投稿者:きたの  投稿日:2007年 8月11日(土)17時19分18秒
  MIDIAKIさんのご投稿のなかで「多くの人が思い出す曲などが入った曲集があれば良いですね」に、こんな本は如何でしょうか?「童謡・唱歌 こころの歌」西東社(せいとうしゃ)¥1000円(+税)。ご近所の方たちと「うたごえ喫茶」と称して月1回夜2時間ほどギター・チター・ハーモニカ・オカリナと私の下手なアコーディオンの伴奏で参加者が歌いたい歌を皆で歌っています。参加者は60才代の若手老人候補者20人ほどです。コードも書いてあるので、弾きやすいです。音程を下げても上げてもコードはそれにスライドさせればよいので楽しめます。曲も300ページの中に230曲くらいはあるでしょうか。「里の秋」「浜辺の歌」「北国の春」「川の流れのように」「庭の千草」「ローレライ」など。  

心に残る曲  投稿者:MIDIAKI  投稿日:2007年 8月11日(土)15時05分46秒
  なつメロと云っても、古い曲なら何でも良いのではなくて、心に響く
思い出になる様な良い曲ではなかったかと思います。
もっと古い曲でも良い曲はありますが、聴く機会がないと何時か忘れ去られてしまいます。
長い時代に渡ってヒットした曲、多くの人が思い出す曲などが入った曲集があれば良いですね。
たしろ様が書かれた ”千の風になって”なども多くの人が心に残れば遠い将来には、なつメロになるでしょう。
ところで、歌の伴奏は、私にとって楽器を歌わせる訓練になって、独奏曲の表現にも反映される気がしていますが、如何ですか?
 

懐メロを考える  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 8月11日(土)11時27分32秒
  MIDIAKIさん
>なつメロは嫌いではないけれど周囲の方々が新曲を歌うと、合わせて選ばないと、とけ込めない事情もあるのではないでしょうか。

なるほど、歌い手の中で競争意識というか、張り合いながらも若々しくありたいという心情が伝わってくるようです。

>時々、なつメロを中心とした歌の会がありますが、昭和の初期から40年ぐらいの流行歌が歌われ、楽しまれている様です。

これも、「懐メロ」というのが生存者基準のとらえかただとすれば、生存者の年齢層に合わせて時代と共に少しずつ新しくなっていくのでしょうね。

昭和40年というと、当時5歳だった子供は今は47歳だし、当時結婚した人達は70代の後半以降にさしかかっているだろうから立派に懐メロ成立と言うことでしょう。 このようにして20〜30年後には今年ヒットした「千の風になって」が懐メロになっていたりして(^^;。
 

たしろ様  投稿者:MIDIAKI  投稿日:2007年 8月11日(土)09時10分30秒
  もう少し詳しくと云われましたが、カラオケの世界は合唱することは無い様です、二人で歌う曲などは別ですが、あくまで個人が楽しみながら歌唱力を上げて、成果として発表会などで披露する自己啓発?の世界の様な印象を受けます。
たしろ様が云われた唱和については、歌声喫茶などで見受ける環境で
カラオケでは、あまり見受けません。なつメロは嫌いではないけれど周囲の方々が新曲を歌うと、合わせて選ばないと、とけ込めない事情もあるのではないでしょうか。
時々、なつメロを中心とした歌の会がありますが、昭和の初期から40年ぐらいの流行歌が歌われ、楽しまれている様です。
私たちバンドはそれらの曲を基本的に断らずに演奏するので、どんな歌謡曲が歌われるか、目安にはなります。
たしろ様が経験された場では、その雰囲気が自然ですが、カラオケが発達した今の歌謡曲グループでは個人プレイが多いのでは、と感じます。
 

リードが決め手  投稿者:MIDIAKI  投稿日:2007年 8月11日(土)08時50分19秒
  川井様、回答有り難うございます。 材質はもとより仕上げ工程に如何に時間を費やしたかで優劣が決まる様ですね。
スタンダードモデルにハンドメイド・リードを組み込めば軽くて鳴りの良いアコーデォン誕生もあり得る事を考えると、その様な仕様もほしいです。
ただし、値段の方もコストに見合って高くなるのは残念ですが。
 

同族発見  投稿者:カブトガニ  投稿日:2007年 8月11日(土)07時32分35秒
  元気な枯れ木じいさん、私もいま貴方と同族です。
6月上旬背中に痛みを覚え整形外科で診察の結果腰椎疲労骨折二ヶ所(朝青竜と病名は同じですがサッカーはおろかアコーディオンも禁止です)早速腰から肩までのギブスを嵌められ風呂以外は寝る時も着けたままの生活がまだ続いています。7月8月の仕事はキャンセル又は友達に代わってもらいましたが、9月までには治るだろうと考えていたので9月の予約は入ったままです。
毎年夏一ヶ月間は楽器無しの山篭りしますが、帰って弾いても同じ様に弾けるので、今回3ヶ月間楽器に触らなくてもなんとか仕事は出来るだろうとおもいます。
アコにカビが生えていなければ良いのですが、一度ケースから出してみましょう。
元気な枯れ木じいさん、アコーディオン弾きに歳はありません、いつも恋を追う青年の気持ちを持たないと艶の有る音は出ません、もう一度枯れ木に花を咲かせて下さい。(私80才)

http://www18.tok2.com/home/wani/ss/sumiyatop.htm

 

re:慰問演奏  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 8月11日(土)07時20分7秒
  元気な枯れ木じいさん
はじめまして。
>永年続けていた 老人ホームへの 慰問演奏も やっと1000回を 達成したので

いやー、驚きました。
何れ僕も、お役に立てるのであればそういうことをやってみたい気がありますが、お差し支え無ければ1回分のモデルプログラムをご披露頂けませんか?また、おしゃべりや司会などの最低限度のスタッフ構成についても。
なお、季節は適当に設定なさって下さい。

お願いばかり致しましたが、くれぐれもお体を大事になさって下さい。
 

re:懐メロ  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 8月11日(土)07時04分29秒
  MIDIAKIさん
>最近の皆さんは年配の方でもなつメロは殆ど歌いません。

もう少し詳しくお話いただけませんか?
ここで「歌う」というのは、ステージの上で独唱したり動作付きで歌ったりすることですか?それとも複数の人が唱和する形も含めてですか?

前者が前提ですと「何時までも若くありたいという現役願望」から懐メロはあまり歌いたがらないように思いますが如何でしょう?(懐メロを歌ったご本人によるステージ自体がご本人の死亡や老衰により見られなくなったしまった事もあるでしょう。)

僕のこれまでの観察では、歌は得意ではなかったと言う人も含めて、複数の人による唱和が前提の場では多くの人が一瞬にして時と場所を共有出来る力を持っているように思います。