BacK Number 328


シュヴァィツァー博士のオルガンについて

 投稿者:オルガンサロン  投稿日:2009年 9月20日(日)15時50分41秒
  川井 様 早速写真(本)をご紹介くださつてありがとうございます。オルガンには足鍵盤が付いていて両足で足鍵盤を操作しいてるようですね。送風は補助者が空気を送っているのではないでしょうか。足鍵盤付きの多くはパイプオルガンだと思いますが、リードオルガンにもまれに足鍵盤がついていて、空気送りは電動だったりポンプで補助者が送風したりするそうです。パイプオルガンは笛式と思いますが、最近はオルガンビルダーの力量で色々と工夫されているようです。リスト記念館ではリードオルガンとピアノが一体化した楽器 ピアノオルガンを見てきました。音楽は聴き方が分からずじまいなので、このページを教えてくれたリード楽器大好きおじさんに操作を教えてもらうことにいたします。ありがとうございました。

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Dr. Albert Schweitzerのオルガン演奏

 投稿者:川井 浩  投稿日:2009年 9月20日(日)15時21分30秒
  アルベルト・シュヴァイツァー博士のオルガン演奏、話には聞いたことがあるけど、実際に聞いたことが無い人はこちら:
http://www.geocities.jp/matsumo22000/sound201/e-page99ah.htm

ところでパイプオルガンにも笛式とリード式があることを知りました。 そういえば、なんとなく2種類あるような気がしてきました。 足踏み式はもっぱらリード式だと思いますが、教会のパイプオルガンもパイプをリードの振動から発する音色を共鳴させるために使うというものと、フルートやリコーダーのように空気の振動だけを共鳴させてならす方式があるということのようです。 そうなると、トレモロなども入る余地が出てきそうな気がするし、トレモロ無しのドライサウンドやミュゼット調のパイプオルガンがあったりして.... うーむ、こちらも興味が尽きない。
 

シュヴァイツァーのオルガン

 投稿者:オルガンサロン  投稿日:2009年 9月20日(日)12時00分51秒
  川井様 考察に裏付けられた川井様の音楽説に納得至極の心境です。ありがとうございますという気持ちがわいてくるのは、リード楽器をこよなく愛している同志ということでしょうか。お目もじもないお方とこんなお話ができるなんで楽しいですね。川井さまやここに登場なさるお方は素晴らしい技術と深い考えの方がたが多く、他の掲示板よりも数段内容が深く意見の交換がありとても参考になります。
 ところでシュヴアイツアー博士がアフリカの電気のない奥地で演奏なさったのは、パイプオルガンではなく足踏み式リードオルガンとおもわれます。でも大型のリードオルガンで、空気を送るペダル2個だけでは到底空気の量がたりないので、オルガンの側面にポンプがついていて補助者がそのペダルで空気を送付するタイプのオルガンではないでしようか。
主人もどこかでその写真をみたことがあるそうですが、当方で所有しているポンプオルガンのタイプではないかとわくわくしているところです。どなたか博士が演奏なさったというオルガンの写真をお持ちであれば もしくは掲載されているご本をご紹介いただけないでしょうか。我が家には野外用の折りたたみ式リードオルガンがありますので、演奏技術の向上さえ獲得できれば、そしてオーディション合格したならば、デビューもあるかもしれませんね。その確率は一億円宝くじよりも期待できないことでしょう。

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次回はオルガンも登場?

 投稿者:川井 浩  投稿日:2009年 9月20日(日)07時13分16秒
  定禅寺ストリートジャズフェスティバル、来年はオルガンも登場なさってはいかがでしょうか? きっと注目を集めること必至だと思います。 もっとも、アコーディオンに比べると移動にはご苦労なさるかも知れませんね。 かつて、キリスト教の讃美歌を教会で歌えない地域に伝道師たちがアコーディオンやバンドネオンをかついでや山奥や未開の地に伝道に出かけたということを読んだことがありましたが、さすがにアコーディオンやバンドネオンはストリート音楽にルーツがあるのかも知れないと思えてきます。 であればこそ、アコーディオンの場合、舞台の上でのおけいこごとの発表会がつまらなくて、ローマの橋の上の演奏が面白いというのは歴史的な裏付けがあるとも思えてきます。 オルガンをアフリカ奥地のランバレーネまで持ち込んだアルベルト・シュヴァイツァー博士の思い入れはいかほどだったのだろうかとも感じてしまいます。 定禅寺であればオルガンサロン様からアフリカほどは遠くないので、う〜ん、次回は期待してしまいます。 もっとも、100年近く前の骨董価値の高いオルガンの移動には慎重にならざるを得ないでしょうね。 ストリート、そこはやはりアコゲリラの舞台なのだろうと思います。 世のアコ好きよ、奮起して表にいでよ!  

本物のリード楽器の音色

 投稿者:オルガンサロン  投稿日:2009年 9月19日(土)23時28分26秒
  キャオ教授様 仙台のジャズフェスで演奏なさったのですね。地元だったのにと残念でした。お店があったのでいけなかったのですが、資料を調べていたらと残念でした。素晴らしい演奏ですね。擬音ではなく本物のリードの音楽を現代の若い人たちに知らせたいですね。
これからも活躍を期待しております。

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pくんにとってのピッツァの本質とはなにか?

 投稿者:ピッツァ評論家pくん  投稿日:2009年 9月18日(金)04時42分29秒
  長年、ピッツァに、命かけて、『ピッツァの本質』執筆中の、ピッツァ探偵pくんの、アコーディオンの、たのしみかたとは、いったい、なにか?

ここで、まず、pくんの著書、『目覚まし時計の本質』(注、未出版)から、抜粋した内容を、まづ、紹介します。

*目覚まし時計のやくわりは、すなわち、いつ、いかなるときであっても、確実にねんねの国から、現実せかいへ、にんげんを、よびおこすものでなくてはならない。

その為には、まずいえることは、電池式のは、最悪である。なぜなら、いつ電池なくなるか、わからないから、ある時、突然、予定時刻になっても、音ならない可能性が、あるからである。
、、、、(このあと、2ページ省略)
はるかむかし、コンセントに、さす、電気式目覚まし使ってた時があったが、これも、しんぱいになる。なぜなら、よなか、
ねんねの国に、いてる最中に現実世界で停電が、おこったら、停電してるあいだだけ、うごいてないから、当然鳴り出す時刻は、遅れてしまう。
、、、、(このあと、5ページ省略)

そしたら、いったい、何が、一番、確実性があり、著者のような、心配性な、人間でも、確実に目覚まし時計を信頼して、ねんねの国にいけるのか?

と、なると、答えは、ひとつ。いかなるときでも、何の外部からの、ちからもたよらず本体のみで、大きな、目覚まし音ならしてくれる、完全ぜんまい式なのだ。だから私は、長年ぜんまい式しか、つかっておりません。****

というわけで、さて、いったいなにがいいたいのかというと、アコーディオンこそ、海であろうが、山であろうが、がけであろうが、戦場であろうが、どこででも、他の、なんのちからを、かりることもなく、この楽器ひとつで
川井氏の言葉による『どこかで聴いた曲をアレンジしてしまうのもいとも簡単。 それを楽しむのも大いに結構だ』
というふうに、この楽器ひとつで、何でも出来ちゃう可能性が、あるところが、やっぱり、ピッツァ評論長年やってきた、自分的には、一番の、魅力なわけです。

そう、まさしく、長野のカズさんの、観念のとおり、場所を選ばない完全独奏楽器なわけです。

前にも一かい、おんなじ様なこと書いたことあるけど、本来ぼくはね、何かの曲、アコーディオンでやろうとする時、まさしく、その曲、が、きこえてくるようなかんじにしたい。、、としか、かんがえてないわけです。つまりね、シンセや、エレクトーンや、なんやかやと、きーくるうくらい、音色かわる、がっきとちごて、アコースティック楽器は、どれもこれも、やっぱり、かなり、出てくる、おんしょくそのものは、かぎられていて、アコーディオンも、もちろんそうだし、たとえば、バイオリン一本だったら、確かに、山にはいけるけど、最高4音しかデーへんし、やっぱし、それでは、何か他の楽器の伴奏がないとどーにもならんでしょ。
そして、僕のアコーディオンのたのしさは、音色の、物理的な変化にたよることなく、演奏の、表現方法で、あたかも、その、曲のような、醍醐味があじわえることだと、おもっています。つまりもっと簡単に言えば音楽は音色が本質でなく表現が本質であることに、集中できる、といえばいいのかもしれない。さらには、ぼくは、それにつけくわえた、自分なりの個性を、その音楽の中に、入れたりとか、実際に、かんがえたことも、やったこともなく、自分としては、ひとつの曲が、その曲の感じで、演奏できたら、もう、最大の、満足であって、別に、それ以上のもの、求める意欲は、ぜんぜんないわけです。

でもこれは、まあ、よくゆえば、オーケストラの指揮者的な発想かもしれないし、さらに、体動かしてひいてるのも、自分自身であるところに、大きな大きな、アコーディオン弾いてる、満足感があるわけです。
 

ご感想ありがとうございます。

 投稿者:キャオ教授  投稿日:2009年 9月17日(木)00時17分36秒
  >ピッツァ評論家pさん

さっそくご静聴ありがとうございます。YouTubeの方にもコメント下さって嬉しいです。
"Freccia Blu"は仰せの通り「青い矢」ですが、これはわたくし青木とギタリスト矢野氏の頭文字を使ってイタリア語にしたものです。曲はMichel & Maurice Larcangeの作品です(Larcange親子でしょうか。それとも兄弟??)。確かに会場のパイプ椅子は低かったです。かといって愛知から椅子を持ち込むわけにも行かないですね。

>川井さん

貴重なご意見ですね。嬉しいのと同時に、身の引き締まる思いです。自己満足でやっているうちはまだまだですね。でも本当に、川井さんがおっしゃるような世界がやってきたら(かつての日本にそれに似た時代があった?)素敵ですね。


他にも投稿しましたのでよろしければどうぞ。

http://www.youtube.com/user/profkyao

 

仙台のストリート演奏 

 投稿者:川井 浩  投稿日:2009年 9月16日(水)18時39分7秒
  キャオ教授様、映像のご投稿ありがとうございます。 素敵な演奏でうっとりと聴き惚れてしまいました。 いいですね、こんな音楽が町に流れるなんて。 なかなか味なジャズフェスティバルですね。こんな演奏家をほうぼうで呼んでくれてアコの音色がほうぼうの町で聴けるようになるとさらにいいですね。 アコ文化を創っていくというのはキャオ教授様たちのような方々に負うところが多いと思います。 この素敵な演奏から、アコ好きが増え、どこのイベントやお店でもアコ演奏が競争で引っ張りだこになり、アコをうまく弾けて、人気がでれば一生食うに困らないどころか、蔵が建つ、という具合になって初めてアコ文化の成熟が生まれてくるのかなぁ。 アコが変わりもんが弾く楽器、珍しい楽器ではなく、いつでも耳に心地よく、いつでも聞いていたい音色なんだという認識を共通のものにしてもらえればいいですよね。 そろそろエレキやシンセ、レコーディングの技術で作られた似たような音ではなく、アコ演奏家のハートやパッションがそのまま蛇腹とリードで鳴らす音を通して聴く人の魂を揺さぶるということがいかに素晴らしいかをみなさんに理解、体感、実感してもらうには、まだまだキャオ教授さんのような方のアコ伝道師のような方の活躍が期待されます。  

よかったからみてみたけど、ほんとによかったわ。

 投稿者:ピッツァ評論家p  投稿日:2009年 9月16日(水)05時04分16秒
  青い矢、って、これは、イタリア人の作った曲ですか?まあ、それは、どうでもいいけど、ほんとうに、いいかんじで、飽きない演奏だと思いました。なんかでも、椅子、ひくすぎたんとちがいますか?選択の余地の無いとこで、演奏するのは、たいへんだ。  

♪定禅寺Street Jazz Festival

 投稿者:キャオ教授  投稿日:2009年 9月16日(水)00時46分39秒
  こんばんは。ご無沙汰しております。
先週末、仙台で演奏してきました。1年ぶりです。
動画も撮ったので今日公開しました。よかったらご覧になって下さい。



最近のteacupは、動画埋め込みができるようになったので便利ですね♪

http://www.youtube.com/user/profkyao