BacK Number 325


ウェルカム!アトランティック君!  投稿者:canto  投稿日:2008年12月20日(土)20時44分59秒
  ということで、今日の旅立ちくんの終着点は、カント駅です☆
楽器の到着が楽しみです。色々お世話になりありがとうございました。
良い楽器が手に入ったからには、今後ますますアコ練習に力が入りそう。
がんばります!!
 

恋の奴隷  投稿者:ZEN  投稿日:2008年12月20日(土)17時59分43秒
  むかし奥村チヨさんの歌で流行りました
http://jp.youtube.com/watch?v=5ue1sg6xfvY
 

毒も薬のうち  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月20日(土)17時28分11秒
  いやだ、苦しい、奴隷のようだ、とおっしゃる猛毒発生中のP探偵はそれほどまでに、狂おしいまでにアコにほれ込んでいるということですね? あこがれても成就しない恋ほど狂おしく、苦しく、つらいものはありません。 ようするにあなたはアコが、あるいは今アコでチャレンジしている音楽そのものが大好きなのだ。 好きで好きでたまらないから、楽しくてうれしくて仕方が無いから切ないのだ。 アコ、モナムール。  

今日の旅立ち  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月20日(土)17時09分29秒
  Hohner Atlantic IV N de luxe。HohnerがまだドイツのHohnerだった時代にもっとも売れた41/120モデルの一つがこれ。 つい最近生産中止になったVenturaがでるまで長い間Hohnerの顔として君臨してきたモデルです。 剛性の高いメタルボディ、堂々たるグリルデザインは開口部が大きく迫力ある音が前面に飛び出します。 ベースもHohner独特のなぜかずっしりときくベースでこちらも重厚なHohnerの音色そのもの。 今回はお客様のご希望でトレモロをさらに低く抑えることで、Hohnerの持ち味の落ち着いた迫力ある音色がきれいにでたと思います。 また、比較的軽量のため、立奏でも十分楽しめます。 今回は西日本にお住まいの素敵なLadyのもとにご奉公にあがるAtlantic君なのでありました。 私もご一緒にご奉公したい。
 

生まれいずる悩み・・・  投稿者:ZEN  投稿日:2008年12月20日(土)07時49分39秒
  川井様、そしてここにお集りの皆様、ここでぼくが再び著作権の話に戻ることをお許しください
どうしてもこれだけは、言っておきたい衝動にかられて、以下のことを書かずにはおれなかったのです

作詞家、作曲家、演奏家、画家、小説家・・・・
真の芸術家は作品(演奏などの芸術表現)を生み出すのに、それこそ身を削るような努力や苦しみを持って生み出していると思うのです
われわれを感動させ、楽しませてくれる、それらの作品は、簡単に気楽に生み出されている訳ではないということです

ぼくはその作家のその産みの苦しみ、その血と汗の結晶に対して、それを利用する側にはそれなりの「対価」を払わなくちゃならない義務があると思うのです
ここでぼくが言う対価(芸術家の産みの苦しみ、血と汗に対する代償)はお金(経済的な対価)とは限りません
芸術家に対するリスペクトというか、最大限の敬意を持って、心をこめて弾くということも立派な「対価」だと思っています

北海道ニセコ町にゆかりの作家、有島武郎の「生まれいずる悩み」という小説があります
岩内町出身の画家、木田金次郎をモデルに、芸術家の生みの苦しみというか悩みを書いた小説です
有島記念館というのがニセコ町にありまして、ときどき久保先生がアコーデオンのライブコンサートをなさっています
ニセコにいらした際にはスキー場ばかりでなく、もし時間があれば有島記念館も訪れてみてください
 

趣味と生活  投稿者:川井 浩  投稿日:2008年12月20日(土)01時55分46秒
  私が洟垂れ小僧のころ、大通りをさっそうと走り去るオートバイにあこがれて、免許を取れる歳もなっていないのに、小遣いをなんとか集めては数ヶ月に一回大人のバイク雑誌を買っていました。 そして朝から晩までオートバイの本を眺めるか、終日大通りに突っ立って通り過ぎるオートバイを眺めておりました。 その音、その姿、そのにおい、憧れでした。 将来はオートバイを仕事にする職業につきたいなどとおぼろげながらに考えていましたが、やはりそれは自分には良くないのではないかという声が常にありました。 別に技術に弱いというわけでもなく、むしろ自信があったほうですが、好きなことで生活をしようとすると、それはもう楽しみではなくなってしまうということを直感的に感じておりました。
オートバイの話で恐縮でしたが、音楽という世界に深〜く入り込んでしまったP探偵にはもやはアコーディオンを「楽しむ」ということが難しくなっているのだろうと思います。 そしてそれは良くわかるような気がします。 それが苦しみであるというは彼が正真正銘のプロであるということだと思います。 ベートーベンが作曲が楽しくてしょうがなかったという話も伝わってきませんし、ソフト開発の技術者が大作完成後に燃え尽き症候群に陥ってしまうという話もあります。 作家・檀一雄や太宰治が小説を書くのが楽しくって仕方がないという状況ではなかったことも事実のようだし、ダリもピカソも芸術を創造する苦しさをいろいろな形で表明している。 人様からお金をいただくプロである以上苦しくてもしっかりとやっていただきたいと思います。 恐らくその苦労の大小で巷の評価も厳しく分かれることになるのだと思います。 幸いなるかな趣味でアコーディオンをやる人。 あなたの苦労は苦労じゃない。
 

名探偵じゃなくって、へんな、探偵も、いてます。  投稿者:猛毒くん  投稿日:2008年12月20日(土)01時05分46秒
  演奏する人も、聞く人も、いろんな、音楽の、楽しみ方が、あるのは、当然だし、演奏する人は、このまえ、ふつぞうさんが、かかれていた、v-accordionの、審査基準の、技術(これは、もちろん、音楽性と、いうことも、ふくまれるのだと、おもいますが)、観客への、アピール、コムニケーション、そういうことも、まあ、技術や、音楽性、に、ふくまれると、おもうんですが、そういうことが、普通は、だいじだろうとは、おもうのですが、あとまあ、心ですか、とくに、だいじなことは。 それでね、ぼくは、昔は、音楽家って ぼくはね、みーんな、自分と、おんなじような頭なんだと、勘違いしてたんですが、いろんなひとから、ほかのひとが、じぶんと、おんなじと、思ってたら、大まちがいと、ゆわれて、だんだん、そうか、違うのか、ということが、わかってきたんですが、音楽って、ぼくにとっては、

多分、音楽に目覚めた、中学生くらいからだとは、思うんですが、いつからだったか、はっきり、覚えてませんが、音楽聴いて、たのしくなったり、こころが、やすらいだり、したことは、一度も、ありません。むしろ、聴くことも、演奏することも、いつも、とても、かなり苦痛です。これは、ものすごい、と、思う、音楽、聴いたならば、もう、すごい、体じゅ、寒気してきて、ひああせかいて、あたまん中は、自動的に、音楽の、解析が、はじまり、もう、苦痛で、たまらなくなります。

むかし、il giornaleという、新聞の、インタビューで、どれほど、音楽を愛しているか?というような、質問されて、愛しているどころか、ぼくは、音楽の、奴隷で、毎日が、苦痛だ、と、こたえました。本当に、奴隷だと、思っています。だから、アコーディオン練習するのも、まさしく、苦痛です。なぜ、こんな、苦しんで、音楽なのか、?、どうしてもね、自分の、命が、音楽つづけなければ、ならない、奴隷なのです。まあ、こういう、pくんみたいな、へんな、探偵も、なかには、いてるのです。
 

川井さんのジョーク  投稿者:MIDIAKI  投稿日:2008年12月19日(金)19時34分56秒
  たしろ様、もしかしたら私が投稿した文面からスタートした記事によるかも知れません。
カブトガニさんの文面は、私から見れば、”渇”については川井さんの仏の道のジョークに対する、ジョークと理解しました。
アコーデォンが好きで、可能性を求めて、あらゆる方法を考えるのはとても素敵なことと思います。
そのこと自身を否定しているとは、文面からは伝わりませんでした。
私は、大先輩が築き上げた今のアコーデォンの、あるがままの状態を好きになり、その可能性の中で、楽しい音楽を出来たら幸せと思っています。
左手側に関して、ストラデラ方式は、説明するまでもなく、固定された和音と、1オクターブの範囲のベースと和音により120個のボタンで形成されていますが、工夫され、多様な表現を目指されるのを否定しているとは考えられません、どなたも同じ条件で楽しまれている訳ですから。
 

たしろ様  投稿者:カブトガニ  投稿日:2008年12月19日(金)19時23分41秒
  貴方のコメント見て大変驚いて居ます、貴方が不快な想いをされたのでしたらここでお詫びしまいが、ゆめゆめ貴方や特定な人を念頭において書いた心算は全くありません。
例えば何ヶ月も格闘してもものにならない様な難曲に取り組み、悶え苦しんでてる様な人を見ると、お止めなさいもっと易しくて楽しい音楽にしたら、と云いたくなると云うことを云いたかったまでです。(これを煩悩に例えましたが、誤解の無い様おねがいします)

勿論常にワンランク上に挑戦しなければ進歩は有りませんが、飛び級を狙っても苦しむだけで進歩は望めません。
中国にはアコーディオンの検定試験が有るそうです、こんなのが有れば一級づつ上を狙えて良いかも知れませんね。

P.S.「渇」は川井さんの般若心経を受けてのノリで他意は有りません、念の為。

Monsieur KAWAI,
Bon Voyage !!
 

Katz! Bouna Notte!  投稿者:Hiroshi Kawai  投稿日:2008年12月19日(金)17時24分20秒
  Ima Kankoku no Inchion Airport ni ori Kanji-nyuuryoku ga dekinai node Roma-ji de shiturei shimasu. Bon-Noh mo, Katsu mo betsuni anataeno kojin kogekiwo itoshitamonotowa omoemasen. Motto kimochiwo raku ni motte, oanji ikenwo motsu kataga fueruyouni motto yasashii kotobade minasan ni katarikakeraretewa ikagadeshouka? Kitto gosandou itadakeru katamo irukamo shiremasen. Soredemo sandousha ga sukunai baaiwa, anatano iken ga shousuu iken datoiu goninshikiwo motarerunoga iito omoimasu. Ippanron toshitewa accordion niwa iroiroto seigen ga arumonono sono subarashii tokuchouwo ikashite minasande isshoni jinseiwo yutakani shimashouyo, toiu okangaeno kataga ooitoiu kotodewa naikato omowaremasu. Itsumademo Accordion no jakuten wo kazoeagetebakaridewa tumaranai nodewa naideshouka? Aruiwa matamata watakushi no gokai deshouka? Buona Notte!