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私の投稿したSlovejaのLjubljanaで突然聞こえてきたv
dolini
tiniにおもわずカメラを向けてどこからその美しいメロディがくるのかむなしく方向を探る映像にコメントをいただいたのは、なんとその美しいメロディを作曲し、演奏したLojze
Slakの親戚のかたでした。 そのかたのおじいさんのいとこがLojze Slakというとことですが、やはり生前はLojze
Slakの曲をいつも口にしていたとのこと。 このおそらく27歳の青年もこの曲を聴くと涙してしまうとのことです。 そして、いつのひかこの曲を理解してくれる日本という国に来てみたいとも書いてある。 彼が日本の演歌を理解するかどうかわかりませんが、おそらく心はひとつ。 たまたま、一昨日ラジオで岡倉天心の思想について、一部だけ聞くことができた。 「東洋の理想」という100年も前に書かれた書物、それも通信・交通が今日ほど進んでいなかった時代に日本の文化の特質と進むべき道を示した書物として、今評価があらためて高まっているとの話であった。 東洋は一つ(Asia
is
one)というかれの言葉が軍部により悪用され大東亜共栄圏という天心のいわんとしたこととまったく違う方向に持っていかれてしまったことは、音楽が悪用されたことなどと重なり不幸なことであったが、要するに日本の文化というものはアジアの諸国の、それも文化的に先進諸国だったインド、中国その他のアジアの国の文化を摂取・吸収しRefineすること自体が日本の文化なのだと説く天心の言葉が今日の日本のアコ文化の一つの側面をすでに言い表していると思って、思わずひざをたたいた次第。 それは、Identitiyの無さ、文化の低さ、そして、であるがゆに諸外国の文化を取り入れる能力と、それをRefineする能力をもった民族。 天心が100年も前に喝破したようんみ、それが日本民族の特質であるとすれば、日本において、アコの文化がオリジナルなものというよりはシャンソンあり、ジャズあり、クラシックあり、千の風あり、スロベニアの音楽あり、というIdentitiyの無さ日本のIdentityなのだ、と思えば、気持ちがずっと楽になるような気がしたのです。 要するにわれわれはHappyな島国根性丸出しの極東のIsland
Folkなのだ。 そして、そのRefineする能力をもって世界の尊敬を集めることができるという自負をもって、世界に負けない音楽を奏でればよいのだ。 世界から理解されないかもしれないし、もしかしたら理解してくれるかもしれない演歌を自信をもって演奏すればいいのだ。 認められるかどうかはこの際どうでもよくて、演歌を聴いて涙する人がいればいたでいいのだ。 Ljubljanica川のたもとでSlovenja音楽を聴いて涙した日本人がいたことにSlovenjaの人が喜んでくれた。 それでいいのだ。 岡倉天心と一つだけ意見の相違があるとすれば、Asia
is oneでは無く、World is one、世界は一つだといいたい(お、大きくでましたなぁ)。
Dear Sir,
I am
pleased you like our music! I hear it often too and it still moves me deeply.
What's interesting, it moves more and more young people too! Lojze Slak was my
grandfather's cousin and I remember my late grandfather every time I hear him
sing or on a radio. Naturaly tears start to run immediately.
I hope I
will have the oportunity to visit Japan on business or as a turist! I have great
respect for your people and ancient culture!
Lep pozdrav and all the best
to you and your loved ones from Matej Baric (27)
http://www.youtube.com/watch?v=8YNMLB0kW04
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