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人に感動してもらえること  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 3月31日(土)10時54分35秒
  ドイツ楽器展にきて、さまざまなエンターテナーのプレゼンテーションアコ演奏を聴くにつけ、あるいは、世界からの訪問客が試奏する曲などを聴くにつけ、音楽は言葉のいらない共通の言語だとつくづく思う。 どの音楽にもさまざまな気分、メッセージ、歴史、サービス、遊び、などが満載なのだ。 音楽そのものがそれらを表現するすばらしい手段なのだと思う。 人は「火」を手にして物質文明を作り上げ、言語というすばらしいコミュニケーション手段を手にしていまや宇宙や神を理解しようと、あるいは創り上げてきた。 ただ、物質文明や宇宙までを理解しようとする知識、あるいは神という存在自体を創ってしまった傲慢、ないし、無知を無知と認めない傲慢さを身に着けてしまったように思える。 あたかも、それは、アコーディオンの技術面を追いかけて完成の域に向かっていることの中に生存の意義を感じてしまう勘違いに似ているような感じを受ける。 アコーディオンは道具であり、音楽は手段なのだということを再認識する必要があるかもしれない。 大切なのはコミュニケーションなのではないだろうか。 四畳半の部屋で一人で弾く音楽も音楽であり、それはそれですばらしい。 自分の内面とのコミュニケーションと捕らえよう。 人の前で弾くということはその音楽を聴くものと共有すること、すなわち聴く者と弾く者とのコミュニケーションなのだと思う。 ここでは弾く者は自身の感情、感性、気分、気持ち、生き様、考え方、人生、などをさらけ出して「演じる」ことになる。 さらけ出さない演奏者がいても当然です。 技術だけをひけらかす演奏者がいても当然です。 大先生となってしまってからは、どうだ俺は先生なんだぞと権威を振りかざして演奏する人がいても当然です。 面白いことにそれはのすべての感情や気分あるいは考え方が聴くものにストレートに素直に伝わるということをこれまで皆さんは体験してきているはずだ。 そんななかで、純粋に音楽に身をささげ、アコに対する愛情と、音楽に対する愛情や、作曲者に対する尊敬の念をわすれず、その作曲者の気分やメッセージまで聞くものに伝道する役目を果たしながら、そんな作品で人を感動させることができる人は、やはり、作品のよしあし、演奏技術、以外に聴衆とその音楽を共有して一緒に高みに昇ろうとするサービス精神も含めて、全人格で聴くものと向き合っている人なんだろうと思う。 そんな演奏者に限って「聴衆側から伝わってくる息づかいを体で感じ、それは私を大きく勇気づけてくれました。」というような発言ができるのだと思う。 第一回柏アコパの最後に飛び入りで演奏していただいた当時の「ろばの耳」様こと現在の「たしろ」さんの「ふるさと」の演奏では私は思わず涙がでてしまいました。 どこで何を感じるかは人それぞれ、TPOにより異なるものと思いますが、あのときの私の気分としてはアコで世界の音楽を日本で楽しめるすばらしさもあるけれども、日本人として共通の気分になれる曲にアコパで思いがけずめぐり合ったすばらしさに感動していたものと思われます。 ちょっと脱線しましたが、日本のアコ文化の向上などと大々的に謳って御喜美江様をなかば無理やり壇上に送り出してしまったような、半分申し訳ない気分はありますが、その大業を御喜美江さんは立派に、素敵に、彼女のスタイルで、チャーミングにやり遂げてくれたのですね。 そして皆さんが感動した。 御喜美江さん、ほんとうにありがとう。
ご多忙中の折、わざわざ第2回柏アコパにまで足を伸ばしていただき、短いご挨拶の中にも、人前で弾ける様になることの大切さをせつせつと訴えていただいたことは参加者全員の胸にずっしりと、しっかりと伝わったはずだ。 それは人とコミュニケーションがとれるようになる練習・訓練をしようということだと思う。 独りよがりでなく、音楽を聴いていただいて、聞いていただいた方に力を、あるいは喜びを、あるいは悲しみへの慰めの気分をいただくことだと思う。 シラーの詩にベートーベンが作曲した交響曲「第九」のメッセージまで引き合いに出すのは大げさかもしれないけど、ばらばらになってしまった人々の心をひとつに再結合させるのは音楽だ、というのは今も十分通用する認識だと思う。
もちろんまだ十分音楽にまでなっていない練習レベルの音楽もそれなりに音楽だが、人に感動してもらうためには、あるいは、アコの良さをわかってもらうためには、それなりの実際の練習も不可欠ですね。 これはやってもやりすぎることはないでしょう。 ただ、人を最終的に感動させるのは技術ではないということは肝に銘じておく必要があるだろう、と思いました、御喜美江さんの演奏を聴けなかったけど、聞いた人の話しを聴いて。
 

大きな感謝と喜びと安堵のなかで  投稿者:御喜美江  投稿日:2007年 3月31日(土)00時19分7秒
  川井浩さま、たしろさま、奈良のアコ弾きさま、ひでさま、そして昨夜紀尾井ホールへいらしてくださった多くのアコーディオン仲間さま、私は今このブログを拝見して本当に本当に嬉しいです。そして安堵感と喜びで涙が出てしまいます。
昨日のコンサートは何もかもが新体験で、さらに「アコーディオン奏者を代表して」という責任感もあり、かなり緊張しました。でもここでボロ演奏をしたらアコーディオン仲間も、アコーディオンも、私もあまりにも惨め・・・と心を落ち着け、とにかく音楽のことだけを考えて夢中で演奏しました。でも弾き始めたら、聴衆側から伝わってくる息づかいを体で感じ、それは私を大きく勇気づけてくれました。

みなさま、ほんとうにありがとうございました!!

http://mie-miki.asablo.jp/blog/

 

おー、奈良のアコ弾きさんも  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 3月30日(金)21時35分31秒
  そう言えば、投票の頃でしたか紀尾井ホールへ聞きに来られるようなことを書いて居られたような記憶がありますが、川井さんに替わって休憩時間に幟旗でも立てて置けば良かったですね。お目にかかれる折角の機会でしたのに惜しいことをしました。  

紀尾井ホールにて  投稿者:奈良のアコ弾き  投稿日:2007年 3月30日(金)20時07分13秒
  御同好のみなさまがた、よかったですね〜、しびれましたね〜。奈良くんだりからはせ参じ
た甲斐がありましたよ。まだまだ肌寒い奈良を発って四谷駅から右手の桜にびっくり。
 あちこちから「こりゃこりゃ」と宴会の模様。どうなってんの?。で肝心のコンサートで
すが、「アコ演奏ってこんなにすごいのか!」の衝撃でした。
 聞きなれたアマチュアレベルの演奏から抱いていたアコ演奏のイメージは、技術的なレベ
ルの優劣に比重が偏っていたというか、その部分にしか感心が寄せられないというか、胸に
ずんとくる「なにが語られているか」の肝心な部分について思い至ることがなかったこと
に気付きました。
 フォルテ、明白なリズム、アンサンブルに徹底した左手などともすればテクニックに目を
取られてきた自分の愚かさを知りました。
「バチンの少年」は何度も聞きましたが、不覚にも涙したのははじめてです。特に決して熱
しない奏者の表情にもかかわらず、聞こえるか聞こえないぐらいの(p)ピアノでの演奏はま
さに「曲はなにかを語っている」ことを教えてくれました。
 御喜美江さんのMCは、男心をくすぐるメッツォソプラノ。あんな優美なしゃべりの女性の
どこにあんなすごいエネルギーが潜んでいるんだろう?。蛇腹も裂けんばかりのアクション
は他のアコースッティック楽器に決して引けを取らない迫力で迫ってくる。
 世のアコ仲間諸君。あの気迫を見て何もしない訳にはいかないよ。どうぞ力強く演奏活動
を続けようよ。
 

NECガラコン祝大成功  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 3月30日(金)14時53分33秒
  MIKIMIEさん、やりましたね。たしろ様のレポートからも、第一報のひで様のレポートどおりだったことがわかります。 すごい、これは快挙ですね。 アコ道を極めたい人が増えることや、アコ演奏技術向上がさらに刺激をうけて、ますます観客を熱くするアコ演奏へと向かっていく大きなきっかけになったと思います。 皆様の御喜美江さんへの投票がその原動力となっていることは言を待ちません。 アコのこのすばらしさを、実際に実証していただいた、御喜美江様、ありがとうございました。  

昨夜のガラコンサート  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 3月30日(金)08時33分53秒
  ひでさん、素晴らしい報告を有り難う御座いました。
 まさに御喜美江さんの演奏は【他の誰よりも「ぶっ飛んだ」演奏】でしたね。ロードランナーは、ばく進する経済成長をも表した感じの曲で、知っている曲の断片やリズムが至る所にちりばめられ、それだけでも飽きさせないところへもってきて、曲の終わり方がヒョロヒョロっと言う感じの上昇音階になっており、座って弾いて居られましたがそれに合わせて立ち上がったら会場から思わず笑い声が起こる状態で、このように会場と一体になった演奏は、我らが御喜美江さんお一人だけだったのではないでしょうか。会場ロビーでJAA理事長の松永さんにお会いしたのですが、「あんな曲の演奏は御喜さんにしかできない」と唸っておいででした。「バチンノ少年」を聞かせて頂くのは今月2度目ですが、深い悲しみの表現や終わり近くになって少しテンポアップして貧しいながらも天使のように美しい少年の表現などアコーディオンならではの表現力には、ただ圧倒される思いでした。
 私の聞いた席は招待席の1列前(8列目の中央付近)と最高の席でしたが、スカルラッティやバッハを聞いて、アコーディオンの音が天井から降り注いでくるような響きを伴っており、やはりこのアコーディオンという楽器が「持ち運びが可能なパイプオルガン」を目指して作られたのではないかと思わせるような音でした。
 ここでコンサート全体についても触れて置きます。実は昨夜長文を書き始めましたが、なぜかもう一息のところで勘違いで消してしまいましたので今度は圧縮版で参ります。
 四谷から外堀に沿って会場へ向かいましたが、正に春爛漫、満開の桜がコンサートの期待を膨らませてくれます。会場着は6時15分、「全席自由」とくこともあってか、既に長蛇の列が四谷方面に向かって伸びており、列の後ろへつくために赤坂付近から上ってくる人達は更に四谷方面へ・・・ご苦労様。開場は予定より5分程早められたようですが、何とか目標とした席をゲットできました。
 演奏順は、ハーモニカ、アコーディオン、ピアノ(休憩)ピアノ、ピアノ、ヴァイオリンで、ステージの中央にピアノが無いのはアコーディオンの時だけといった状態でコンサートは進んで参りました。(演奏者のドレスは、白、黒、花柄、水色、黒、ピンクで、これも印象的でした。)
 最初のハーモニカは、やはり空気でリードを振るわせる仲間なんですね、それを両手のひらを使っての「外付けチャンバー」を操作したり口中の容積を上手く使って音を作っていく様子を、やはり「アコーディオン」の立場から観察している自分がいました(^^;ゞ。ハーモニカの音色は優しく、お年寄りの耳元でメロディーを吹いてあげるのにとても良い楽器だなぁ、案外アコーディオンもお年寄り相手の時は右手だけで弾くのも良いかも・・・そんなことを感じていました。
 ピアノは、オーケストラ相手にコンチェルトをやったりする万能の強音楽器として発達したことが良く感じられ、ヴァイオリンもまたわざわざネックの取り付け角度を変えて強い弦を張り、大きな音が出るように発達してきた事を思わせる響きでした。
 その様な訳で、心に響き、また印象に強く残った演奏はアコーディオン、ハーモニカ、ピアノ(3人目)と言った順でしょうか。改めてアコーディオンのすごさ、精神性のい表現力というか、その様なものを感じることが出来たコンサートでした。
 ネット投票で実現した初めての形式によるコンサートは、演奏者の皆さんにとっては、コンクールの時でさえ、予めお互いに認識があるような演奏のときと比較して、ひょっとしたら全く面識のない異種楽器同士の演奏者がステージをシェアしながら、あまつさえネット投票の延長戦を今度は音楽で競うという緊張感は、これは想像以上に過酷なのものであったのではないかというのがコンサート全体についての印象でもありました。
 

NECガラコンでのMIEブレーク!  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 3月30日(金)07時15分30秒
  ひで様のレポートからいかに我らがMIE様がブレークしているか良くわかりました。 私も感動をともにしたかったんですけど、現場にいて感動できなかった分、遠くドイツにいてもひで様のレポートから感動しております。 写真は今宵の宿のFrankfurt近郊のワイン畑の中にあるHochheimのホテル。レストランのワインはすべて自家栽培・自家醸造。大変結構でした。 おりしも開催中のドイツ楽器展「Musikmesse Frankfurt 2007」に出店しているフランス人グループも宿泊して食事もワインもここでとっているところを見ると、決して悪くないということもわかる。 おっと、ワインはともかく、我らがMIE MIKIのアコ演奏がそれだけすごかったということは、日本のクラシックファンにアコとはなんぞやということを見せ付けることができたわけで、これは快挙ですね。 やった〜! ですね。手のひらぱっちんですね。 なかにはクラシックファンで無い人もいるとは思いますが、アコが楽器として広く認められていくためには、まずは、楽器としてオーボエやクラリネットはおろかピアノやバイオリンに負けないどころか、それよりももっと幅広い表現力があるのだ、ということを理解してもらうことは非常に有効ですね。 むしろ、そんな単音楽器よりも、複雑な音楽を一人でできてしまうすごいもんなんだ、それを弾いている人は、大してうまくなくても、たいしたことにチャレンジしているのだ、ということをわかってもらえるだけでも大いに収穫だと思います。 くやしかったらやってみろ、といいたい。 できないだろ、ざまぁみろ、といいたい。 もちろんそんなアコでMIE様みたいに人を感動させるレベルに達するには厳しい修行の道がまっているわけですが、アコのすごいところは、まぁ、ロード・ランナーやバチンの少年で人を感動させることができなくても、老人ホームで春日八郎や三橋道也を弾いて上げれば涙を流して喜んでくれるおじいちゃん、おばあちゃんもいるということです。 アヒルのダンスをひいてあげれば、幼稚園の子供らが狂ったように踊りまくるということです。 キャンプファイアの脇で弾いて上げれば、幼い恋がめばえるというわけです。もちろん、宴会で弾けば、ビールもワインもおいしくなり、隣の女性が超美人に見えてくるわけです。あ、まだ脱線。 イランやイラクの虜になってはいけませんが、アコの虜にはなってもOKです。 ただし、そこから抜け出ることは容易なことではありません。 どうやら、もうすっかり虜になってしまい、抜け出ようという気はまったくないようにお見受けしますが。 600余票を集めた今回のNECガラコンにはおそらくMIE様も特別な思い入れがあったのではないかと想像します。 彼女のBLOGを注目しよう。

http://mie-miki.asablo.jp/blog/

 

ガラコンサート  投稿者:ひで  投稿日:2007年 3月30日(金)00時40分37秒
  ご無沙汰しております。
 アコパは残念ながら都合が合わず参加できませんでした。次こそは是非!
ガラコンサート行ってまいりました! 興奮冷めやまぬ状態でのレポートですので乱筆御免。田舎物ですのでコンサート自体めったに行くことなどないのですが、せっかく美江様に投票したのですから、是非演奏を拝聴したいと思いつつ紀尾井ホールへ。ガラにもなくガラコンサート(爆死)・・・閑話休題
 正直感激しました。他の5名の方の演奏もすばらしかったのですが、ひいき目に見ている分を差し引いても美江様の演奏はすばらしく、また他の誰よりも「ぶっ飛んだ」演奏でした。『バチンの少年』もすばらしかったのですが、なんと言っても『ロード・ランナー』でしょう。この曲は私も初めて聴いたのですが、モデルはアニメでおなじみ?の、アメリカの道路を高速で走る鳥だそうです。なんでもリハーサル中に演奏に熱が入りすぎてアコが壊れてしまったとか。本番でもアコを壊す覚悟での演奏と言うことで、わざわざ曲順を最後に回しての演奏でした。とにかく驚きの連続というしかありませんでした。これでもかと鍵盤を叩き、ボディーを叩き(くちばしでコツコツと音をたてるイメージか)、パタパタと蛇腹を叩き(走るイメージか)、足踏み、そして「シュー」っと空気を抜く音さえも曲にしてしまう。まさに御喜美江マジック。クラシックを超えたクラシック。アコは大丈夫だったのか?拍手も他の演奏者の誰よりも大きかったと感じたのは私だけでしょうか?お土産に美江様のCDを3枚まとめ買いしてきました。もう完全にアコの虜です。Viva Mie Miki ! Viva アコーディオン!
 

遅ればせながら25日はお世話になりました  投稿者:parmerhuse  投稿日:2007年 3月29日(木)19時54分9秒
  こんばんは。25日は、本当に楽しかったです。最後の最後まで残って、アコ談義、電車の中でもけっこう話しながら帰りました。すっかり音と酒に酔いしれておりました。ところで、今、転勤時期で多忙で、別の書きかけの内容を完成させ、こちらのblogの完成が遅れていますが、あの日の曲名って、どなたか記録されていらっしゃいますか。よく聴いていたのですがメモまでしていませんでした。取りあえず目立ったことを記したいと思いますが、曲名がきちんとわかれば、もっと鮮明に記憶が蘇るのかと・・・。  

NECガラコンレポート  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 3月28日(水)22時32分55秒
  たしろ様、NECガラコン詳細レポートをお待ちしております。 そのほかの方でNECガラコンに行かれた方は是非ほかの楽器に伍して御喜美江さんがアコでどこまでクラシックに迫ったか、観客にここにアコありき、との印象付けにどの程度寄与できたか、インパクトを与えたかなどにつき、実況報告をおねがいできればありがたく存じます。 興味津々、いけないのが、ぐやじ〜。