アコーディオン専門科が音大に無い!  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 8月23日(木)15時33分25秒
  トリフォニーホール様(あるいは新井様)、ご連絡ありがとうございます。 ミカ・ヴァユリネンさんについてはすでに「世界のアコシーン」で紹介させていただいたことがあり、すばらしい演奏に関心したことがあります。 ぜひ多くの方に聴いていただきたいと思います。 仰せのとおり、日本の音大にはアコーディオン専門科がどこにもないのだそうですね。 これは海外でも話題になっていて、日本にはアコーディオン専門科がないというが信じられない、などというような話題になります。 そろそろできてもいいころだと思いますね。 できるように皆さんでいろいろと運動しましょう。 そんなものができて、いい先生が来てくれれば、ピアノ、バイオリンその他ですでに世界の音楽シーンで活躍している日本のミュージシャンのことですから、一気に世界のアコの頂点を極める人が続出する可能性も無きにしも非ずと思います。 もちろんクラシックアコだけがアコではありませんが、一般的にアコがもっと普及して、アコを中心とした歌や踊りなどが広まることで、カラオケやマスメディアで一度はお株を奪われた本来の人の集まりからくるあたたかさのある集いが再現できるかも知れません。 それが、ひいては反戦や、人間関係の再構築につながる可能性はかなり高いと思います。 スキンシップから信頼が生まれ、世間のモラルがアップする。 人が人に優しくなる。 そんなユートピアはちょっと飛躍があるかもしれないけれど、音楽や歌の持つ普遍的な力が、軍部や政治に悪用されないで育って欲しいと思います。 そして、もちろんアコは芸術性の高い音楽の表現にも優れていて、パイプオルガン用の曲ならアコで弾いたほうがより高度な表現ができることは多くの人が認めるところです。 バッハの大研究かとして著名なランバレーネのアルベルト・シュヴァイツァー博士は黒人救済のための医療に励む一方、パリでパイプオルガンの演奏会を開いて資金を調達していた。 彼の慰めは一日の診療が終わって一息つく夕方、足踏み式オルガンでバッハを奏でることであったといわれています。 足踏み式オルガンはリード付、ふいご付、ペダル付のオルガンで、彼はこの足踏み式オルガンでむしろパイプオルガンにはない演奏方法を体験していたものと思われる。 それは、足踏みによるふいごの空気量の調節だ。 足踏み式ふいごを蛇腹に入れ替えればアコとなる。 アコでバッハ。 あうわけですね。 そこで、ミカ・ヴァユリネンさんのアコによるバッハ。 これは聴きがいがありそうですね。 成功をお祈りします。  

川井様 皆様すみません!  投稿者:トリフォニーホール  投稿日:2007年 8月23日(木)12時03分24秒
  トリフォニーホール事業課・広報担当の新井と申します。

トリフォニーホールはこの10月で「10周年」を迎えます。
日本で初めて「新日本フィルハーモニー交響楽団」とフランチャイズ提携をしております。

バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をアコディオン・オルガン・ピアノという3つの異なった楽器でヴァリエーションを楽しんで頂こうとの思いを込めた企画です。

日本の音大では、アコーディオン専門科が無いことに驚いておりますが、アコーディオンの音色は心をゆさぶられます。

今回の演奏を多くのアコーディオンファンにきいて頂きたく、こちらの掲示板に書かせて頂きました。
なお質問などありましたら メールをお送り下さいませ。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
 

されども軍歌は…  投稿者:ホズ  投稿日:2007年 8月23日(木)11時34分20秒
  川井様と熱く平和を語れること。嬉しく思います。
軍歌の捉え方は難しいですね。日本で言う軍歌とは、狭義で言えば、軍もしくは国により、対外戦争のために戦意高揚・国民一致団結を目的に作られたものということになりますが、広義で言う軍歌には、対外戦争以前のもの、軍や国以外が作ったものも含まれてくるようです。奈良時代の和歌や西南戦争等の史実を歌ったもの、新聞社等が公募して作ったもの、「大陸もの」を含む俗に戦時歌謡と言われるもの、寮歌や民謡等の替え歌として戦地の兵隊が歌ったもの、戦後の引き揚げ時のことを歌ったもの等、多種多様です。中には、軍歌と言われながらも同時に兵役反発歌や反戦歌であるものも含まれるようですし、ある人はあの『長崎の鐘』でさえ、軍歌に含まれると言っていました。人それぞれに捉え方、感じ方が違うのですね。それは仕方ないことです。
軍歌は嫌だという人は少なからずいらっしゃいます。私も、軍歌と言えば右翼の街宣カーから流される歌だとしか思っていませんでしたし(軍艦マーチは違う場所で耳にしましたが…)、ギターを抱えて反戦歌を歌っていた世代でしたから、かつての私にとっての軍歌は、嫌いというよりは、うるさく、怖い音楽でした。
前にも書きましたが、ここ数年、お年寄りの皆さんと接する中でいろいろな歌を知り、そしてその歌にまつわる思い出をお聞きしたり、歌ができた背景等を自ら調べることが私の趣味になりました。そんな中で軍歌と出会ったのですが、軍歌を調べて初めてわかったことがあります。それは全体主義・軍国教育の恐ろしさでした。言われてみれば、教科書には「かつて戦争があって、多くの国民が死んだ。それはいけないことだった。平和が大切だ。」とは書かれていましたが、「国が国民に対し、国のために敵を殺しに行くように洗脳し、そのために軍歌を作り歌わせ、結果として多くの人を殺した。」ことまでは書かれていません。実は私は、軍歌については何も知らなかったのです。むしろ、臭いものに蓋をされたまま知らされなかったのかもしれません。お年寄りと接することが無かったら、きっとお年寄りの皆さんと接しなかったら、このことは分からなかっただろうなと思っています。そういう意味で、私はお年寄りたちに感謝しています。時代の流れに乗っただけの反戦ロックを歌っていた時以上に、平和の大切さを実感できたのですから…。
 

自己紹介とメールアドレスをお願いします。  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 8月23日(木)11時30分52秒
  トリフォニーホール様、ミカ・ヴァユリネンの演奏会のご案内ありがとうございます。 以前「あこーでぃおん」のハンドルで同じ演奏会のご案内をいただいたと存じますが、質問がある場合もあり、せめて第一回目だけはメールアドレスのご記入と、簡単な自己紹介をしていただくようお願いします。 ほかのアコファンの方との交流のため最低限の個人情報のご提供をお願いします。  

トリフォニーホール≪ゴルトベルク変奏曲≫2007  投稿者:トリフォニーホール  投稿日:2007年 8月23日(木)11時09分32秒
  9月25 (火)19:30 トリフォニーホール≪ゴルトベルク変奏曲≫2007
第1夜:ミカ・ヴァユリネン[アコーデイオ]
□ 好評発売中
□ 時間 開演19:30(開場19:00)
□ 出演 ミカ・ヴァユリネン[アコーデイオ]
□ 曲目 J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲 ト長調 BWV988
料金:3公演セット券:S\8,400 A\6,300
(9/25ミカ・ヴァユリネン/アコーディオン、10/20フランク・フォルケ/パイプオルガン、10/21シモーネ・ペドローニ/ピアノ) 1回券:S\4,000 A\3,000
*上記いずれかのチケットをご購入の方は、10/20(土)17:30大ホールでの「レクチャー/ペドローニが語る≪ゴルトベルク変奏曲≫」に無料でご入場いただけます[事前申込制])
*団体料金の設定もございます。詳しくはお問い合わせ下さい。
問合せ:トリフォニーホールチケットセンター 03−5608−1212
http://www.triphony.com/
 

軍歌  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 8月23日(木)03時17分46秒
  ホズ様、ご投稿ありがとうございます。 軍歌を考えるとき、正直なところ、私は複雑な思いにかられます。 でも、お年寄りとのスキンシップのなかから感じる軍歌というものはまさにホズ様が述べられているような部分もあるということを思い出させてくれます。 でも、複雑だ。
軍歌を作るということが国民の総意であったかどうかの判断自体が議論を呼ぶであろうし、当時における軍政の判断の誤りの責任を今のお年寄りに求めるのは酷に過ぎるような気がするし、さりとて、日本による被占領国であった近隣諸国の国民のみなさんにとっては軍歌は身の毛もよだつものであるからです。 軍歌そのものは国民の戦意高揚のため、兵隊を海外に派遣し、戦闘を行うために作られたもので、音楽という芸術までも殺戮のための道具として借り出されたものです。 もちろん作曲家、作詞家、楽士もことごとく徴用され、ラッパと太鼓で兵士を戦線に送り込んだのです。 樋口古兵は死んでもラッパを手放さなかったということが美談として語り継がれるように教育を受けたのです。 敵国と設定した国の人々を一人でも多く殺すことが正しく美しいことだと教育されたのです。 父よあなたは偉かった、泥水すすり草を噛み、と子供でもうたって行進していたのです。 そしてそれが今老年になって若いころを振り返り懐かしむときのきっかけとなる歌なのですね。 悲しいことに、そんな人を動かすために作られた歌には人を動かす力も宿っている部分があります。 むしろ強くあると言ってもいいかもしれません。 今の政府が目指している愛国心の高揚というのは、どんな愛国心かわかりませんが、もしも昔の愛国心のことを言っているのであれば、手っ取り早くいえば、学校で軍歌を義務教育にとりいれればすむことでしょう。 ただ、当時の子供だった今のご老人たちはこの軍歌を歌うとき、母や姉妹、兄弟、親戚、親友、恋人、ふるさと、などのことを考えているのでしょう。 そして、私にとってものごとを複雑にしているのは、いくつかの軍歌は私にとってもこの国、この日本という国に対する愛着を感じさせたり、亡き父や当時の若者などへの同情、ひいては歴史上の人物や物事にたいしてナショナリズムとでもいうような感情を肯定的に感じさせてしまうものがあるということです。 平たく言えば、あえて誤解を覚悟で申し上げれば、いくつかの軍歌は好きなのです。 自分が扇動されているのだ、と理解はしていても、感情としては日本男児になってしまう。 そして、それを否定しなければいけない、というプロセスがつらい。 どうしてわれわれは胸をはって日本人ですといっていけないのか、というストレスにつながる。 それは今のドイツのネオナチは極端な例にしても、若者の間にある不満とつながるものがある。 自分たちはナチやヒットラーや、ホロコーストとは関係がないのに、かつての被占領国の人々などに対していつまでも頭を下げ続けることに対するストレスだ。 ただし、それは近隣諸国の人々の眉間にしわがよることにつながる。 あ〜、軍歌はむずかしい。 ホズ様の心優しいたくましさがそんなご老人たちの悲しい過去とその裏にあるそれでも幸せだった若いころの思い出をやさしく包んであげて、逆にいろいろなパワーをもらって、アコでいい関係を作っている。 微妙、でも力強い。 複雑、でも愛はシンプル。 スキンシップで人間理解。 なかなかできないことですが、ホズ様に勇気をいただきました。 そんな現場にBrandoni君がいるのもうれしい。 アコ、がんばれ!
 

メッセージの伝授  投稿者:ホズ  投稿日:2007年 8月22日(水)22時24分5秒
  8月という月は、お年寄りのリクエストに応えて軍歌の伴奏をする機会が増えます。今日も新品のBrandoniで伴奏をしました。お年寄りの皆さんが軍歌を歌うとき、戦争体験を話してくださるとき、そこには単なる懐古だけでないものを感じます。戦争の悲惨さや平和の大切さ、そして何よりも、そして苦しみに耐え生きてきたことのすばらしさ。私にそんなメッセージをくださっているように思えます。このメッセージの伝授は、もしかすると人間同士としての本能的な行動かもしれません。痴呆症になっても、介護が必要になっても、人間には、そんなパワーがあるような気がしてなりません。お年寄りから学ぶことは本当に多いものです。このBrandoniが、その媒介になると嬉しいです。  

会場との一体感は会長のアコtoで  投稿者:たしろ  投稿日:2007年 8月22日(水)21時46分49秒
  ピエールマリ子さん
なるほど「司会・進行は会長が弾きながら」で、「指揮はなかった」のですか。素晴らしい! ということは、蛇腹操作を含むアコーディオンの演奏(伴奏)行為そのものが、指揮の役割を果たしたということですね、良く分かりました。
このご説明を得て、会場を包んだ一体感の本質が良く分かったように思います。これはアコと歌の日常と、歌を通じて信頼の積み重ねがあってこその一体感が、大会場での「音速」という物理的な制約を見事にはねのけてしまったということなのでしょう。
本当に素晴らしいことです。是非学びたいですね。皆さんの技、会長の技。

これは、もし会場の奥から会長のアコを捉える形で撮影した映像があればこの一体感の本質が良く分かるように思いますが、そのような映像が有ることに期待して待ちましょう。
 

メロディーとリズムと詩  投稿者:川井 浩  投稿日:2007年 8月22日(水)11時54分21秒
  歌い継がれている歌には忘れがたい(いつでも口をついて出てくる)詩があり、歌い出せば楽譜を見なくても自然に流れ出る旋律があり、指揮者がいなくても同じテンポで歌えるリズムがあるような気がします。 それは体の中を流れている血のようなもので、民族というか地域というか、世代というか、なんらかの事柄を共有している人たちが集まると特に指揮者がいなくても合唱できてしまうものなのかもしれないなどと思いました。 歌や音楽でおなかがいっぱいになることはないかもしれないけど、歌や音楽が無い人生はつまらないですね。 最近夕食を少し抜いたり減らしたりしてメタボ気味の脂肪の増加に抵抗していますが、以外と効果があると感じたのが、アコ演奏。 夕食時に家に帰らず、会社でアコを弾き始めると時のたつのを忘れてしまいます。 気がつくと、もう夜は遅い。 夕食には遅すぎる。 普通ならここで腹減ったぁ!となるのですが、音楽で心が満たされているので、空腹感があまりないのです。 もっとも、冷蔵庫にビールなどがあったりすると、音楽でビールの味もさらによくなってしまうので、かえって逆効果。  

たしろさまへ  投稿者:ピエールマリ子  投稿日:2007年 8月22日(水)10時21分0秒
  クラブのHPをご覧いただき、ありがとうございます。
司会・進行は会長が弾きながらやり、指揮者はいません。
ステージで歌った有志の人たちの練習は打ち合わせを兼ねて2回行いましたが、
会場の皆様とも、まるで何度も練習を重ねたかのように、本当に「息がぴったり」という言葉通りの一体感で、時間差は感じませんでした。
2000人がよくあんなに息があって歌えたものだと不思議な気さえするほどです。

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/accordion/

 

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