音よりも音楽  投稿者:川井 浩  投稿日: 9月 3日(日)21時58分23秒
  カブトガニ様、ご投稿ありがとうございます。 音の話も興味がつきませんが、ちょっとあまりにも専門的な話題から、迷路に入ってしまったような気分になっておりました。 それはそれとして、やはり音楽はいいですね。 楽しい演奏を堪能させていただきました。 いいですねぇ、「聞かせてよ愛の言葉を」。 リュ シエンヌ・ボワイエの歌声も思い出します。1930年の大ヒットだったそうで。なぜか「奥飛騨慕情」と「スタイルミュゼット」のほうはうまくダウンロードできませんでした。 多分小生のパソコンのせいだと思いますが。 特に「聞かせてよ愛の言葉を」にはなにかカブトガニ様の特別の重いがこめられているような気がしておりますが、いかがでしょうか?  

ちょつと一服  投稿者:カブトガニ  投稿日: 9月 3日(日)20時19分12秒
  ろばの耳さま、ZENさま、川井さま。
ここんところ難しいお話が続いているようで、ちょつと一服して私がUPした3曲聴いてください、演歌、シャンソン、ミュゼットと三つのジャンルを弾いてみました、ご批評賜れば幸せです。(オーディオ)ボタンでダウンに少し時間が掛かります。

http://www18.tok2.com/home/wani/ss/sumiyatop.htm

 

アコーディオンの調律  投稿者:ろばの耳  投稿日: 9月 1日(金)23時29分13秒
  ZENさんnetの紹介有り難うございました。欲を言えば、説明音はピアノ音でなく、せめてパイプオルガンなどの持続音によるものが欲しいところです。
そこで、調律についての説明を主として外国を中心にネット上で検索してみましたが、なかなか今回の用途に適切な例が見あたりません。もう少し探してみますが、ポイントは聴覚心理学の立場からの説明があることと、音が直ぐに減衰してしまうようなピアノ音ではなく、パイプオルガンのような持続音を前提として説明していることなどでしょうか。

そもそもアコーディオンが育った音楽環境には、何処の町にも教会やパイプオルガンがありますので、当然これらの古いものとの共存というか、そういう音を聞いて育った人達が響きの共和性をどのように求めていったかなのですね・・・。この一点だけから見ても、ピアノが平均律で調律されているとは言えないかも?という疑問が払拭出来ません。そこには何らかの妥協が必ずあるのではないかと。
 

平均律と純正律  投稿者:ZEN@北海道  投稿日: 9月 1日(金)08時34分58秒
  関連のサイトを紹介しておきます

ウィキペディアによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B

こちらのサイトはサウンドファイルで音も聞けます
http://www5.famille.ne.jp/~dr-m/TALKING/temper/temperam.htm
 

re:当面ナンノコッチャのお方へ(^^:  投稿者:ろばの耳  投稿日: 9月 1日(金)07時44分3秒
  ひやー・・・これは、参りました。それはごもっともなことですが、1項目だけでも大変なスペースが必要で、しかも音を聞かないと分かり難いという厄介さがありますので、さぁ、これは困りました。どなたか私の挙げた本以外で(出来れば音も聞けるような)入門書をご存じでしたら是非ご紹介下さるようお願いします。

とはいえ、ストラドのベース配列がピタゴラスの音列と同じ合理性のもとで配置されているというところまでは本を探す前のオリエンテーションのつもりでとりあえず書かせて頂きます。

○先ず「音階」ですが、「オクターヴ」は、振動数が2倍の関係で、その間にドレミ・・・の振動数の関係があります。そのような音と音との関係を「音程」といいます。

では振動数が3倍、4倍、5倍・・・になるとどうでしょう?
不思議なことに、というか当然の事ながらというか、人間はこれを心地よく調和した関係の音として認識します。

今、「ド」の振動に対する2倍の振動は、1オクターヴ上の「ド」ですが、
            3倍の振動は、1オクターヴと5度上の「ソ」で、
            4倍の振動は、2オクターヴ上の「ド」、
            5倍の振動は、2オクターヴと3度上の「ミ」、
            6倍の振動は、2オクターヴと5度上の「ソ」、
            8倍の振動は、3オクターヴ上の「ド」
            9倍の振動は、3オクターヴと2度上の「レ」・・
             ・・・・
○このようなお互いの振動関係に基づいて構成されるドレミファ・・・の音階が「純正律」で、このような関係にある音が同時に振動するとき、とても良く調和した和音として聞こえます。

つまり「純正律」の音階は
 ド(1/1)、レ(9/8)、ミ(5/4)、ファ(4/3)、ソ(3/2)、ラ(5/3),シ(15/8)、ド(2/1)

ところが、「全音」とされる音程に注目してみると、レ/ド、ソ/ファ,シ/ラが何れも(9/8)の関係にあるのに対して、ミ/レとラ/ソが何れも(10/8)で大きさが異なります。この前者のグループを、「大全音」と言い、後者のグループを「小全音」と言います。(この全音の大小関係の平均値をとって構成した音階を「中全音律」と言い、ヘンデルの頃までは先進的な音律とされました。)

○一方、ソ/ドの5度の関係を展開していくと
(1/1)                                これは「ド」
(1/1)×(3/2)                   「ソ」
 (3/2)×(3/2)           1オクターヴ上の「レ」
  (3/2)×(3/2)×(3/2)      1オクターヴ上の「ラ」
 (3/2)×(3/2)×(3/2)×(3/2) 2オクターヴ上の「ミ」
 (3/2)×(3/2)×(3/2)×(3/2)×(3/2) 2オクターヴ上の「シ」
 ・・・・・・
逆方向に
(1/1)÷(3/2)           1オクターヴ下の「ファ」
ついでに
(1/1)÷(3/2)÷(3/2)      2オクターヴ下の「bシ」
(1/1)÷(3/2)÷(3/2)÷(3/2) 2オクターヴ下の「bミ」
 ・・・・・・

これをドレミファの順に並べて作られた音階がピタゴラス音階で、この音律は旋律を演奏する上でも優れたものですが、よく見るとストラドのベースの配列と同じであることが分かります。

なお、平均律は1オクターヴを均等な12の半音となるように2の12乗根の積で構成された音律ですが、ここまでにします。
 

当面ナンノコッチャの人  投稿者:川井 浩  投稿日: 9月 1日(金)05時11分3秒
  ろばの耳様とZEN様の対談を大変興味深く読ませていただいております、が、私は「当面ナンノコッチャの人」です。 何度か読み返しては小生にとっての新しい「日本語」の定義が何なのかを把握しようと推測を重ねていますが、ご投稿の内容からだけだと私のような「当面ナンノコッチャの人」には難解ブレーブス過ぎて、まさに当面ナンノコッチャです。しかし、それらを厳密に理解するために、ご紹介いただいた参考書を是非探して勉強したいと思いました。 ただ、当面図書館にも遠い方とか、時間の無い方のために、もしできましたら、この機会に、この掲示板の啓蒙的な役割を深める意味も深めて是非、今ひとつ踏み込んで、噛み砕いて一般大衆というか、一般アコファンにもわかり易く、問題提起と語彙の説明を含めてご解説いただけますと大変有意義ではないかと存じます。 まずは「音階/音律の認識」、「音を重ねたときのビート」、 「古典調律法の一つである中全律(ミーントーン)」、「平均率」、「平均律で音を取ってはいけない」、「長三度や長六度の和声」、「純正律の響き」、「harmonics」、「inharmonicity」、「「固定ド」と「移動ド」」、「減衰音と持続音」あたりの定義と意味をわかり易くご解説いただけますと大変ありがたく存じます。 いかがでしょうか?  

re:ゼロビートの再発見  投稿者:ろばの耳  投稿日: 8月31日(木)20時29分24秒
  調律をなさるZEN@北海道さんには釈迦に説法のお話で恐縮ですが、この際、議論の原点として、技術論の前に音階/音律の認識と、音を重ねたときのビートの処理をどう考えるか、つまり何故その調律法なのかのソフトに重点を置きたいと思います。

なお、調律師の実務書として広く知られるホワイトの「ピアノ調律と関連技術」では、古典調律法の一つである中全律(ミーントーン)の調律法についても付録で具体的に触れていますので、中全率を目指す場合にはさしあたり参考になると思いますが、ZENさんのご紹介の「ゼロビートの再発見」の技術編は、目指すべき答えが見付かってからの実務的な解決法という風に位置付けた方が宜しいかと思います。

> 筆者はビート(うなり)の少ない調律がよい調律ととらえているようですが、現代人の耳には平均律のほうが美しいと感じる人が多い、という統計もあるようです

結論は別として、平均律の評価に関しては確かにそのような傾向にあるようです。
現在では音楽環境が殆ど平均律の世界になっていますし、音楽を聴いても殆どメロディと打楽器しか聞いてないくて、しかもそれらを1つ1つの刺激値として受け止める人には平均律こそが心地よいものとなるようです。絶対音感保持者もまたその通りだと思います。だからといって、このアンケート結果が唯一の方向を決定できるとするのは、まだ少し早いように思います。

しかし、合唱や合奏の訓練のためには「平均律で音を取ってはいけない」という教えが有るのも事実で、そのために長三度や長六度の和声について純正律の響きを確認させるための機器が供給されているのはご存じの通りですが、ではアコーディオンも平均律で調律されたピアノと同様に合唱や合奏の訓練に用いてはならないのか、だとすると、アコを抱える者としてはそれはそれで心しなければなりません。

> アコーデオンの左手のストラデラシステムを考えると、どの音も同等に扱う平均律が便利で、不均等な古典調律ではムリかなと思います。

この説は理解できます。少々専門的な話が続きますが、当面ナンノコッチャの人は、引き続きちょっと目をつぶって読み飛ばして下さい。ご免なさい。

アコーディオンは、その名の由来の通りaccord=和音の意味するところが大きいと思うので、やはり和音は美しく響いて欲しいと思います。問題は、調律時のビートの話が何れも基音をベースに語られていますが、アコーディオンの音は、そもそもオルガンと同様に持続音として捉える必要があるため減衰音によるピアノよりも要求がシビアになることや、かなり多くのharmonicsを含んでいること、振動体は全長が短い剛体であることによって物理的にもたらされるであろうinharmonicityの処理の課題が有るだろうことは十分に想定されます。そこで、耳の良い調律師によって/あるいはそれらが育てたブランドによって実際の調律法にはそれぞれ違いがあるのではないかと思われます。このような事実確認から話を進めたいと僕は考えています。

なぜなら、工業的には平均律の方が遥かに生産性は上がるのは間違いのない事実ですが、果たして高級な製品でも本当に平均律が歓迎されてきたのかどうか・・・などの疑問が、音楽を演奏する楽器についての話であるだけに頭をかすめるのです。

日本への鍵盤楽器の導入は平均律から入って来たので、平均律にはもともと抵抗が少ないでしょうけれど、アコが育った土壌は平均律が実体としてどれほど普及しているのかさえ疑問なしとしません。そもそもa=440を国際標準ピッチと定めたのが1939になってからですし、電子的なtuning手法が導入された頃にはアコは既に最盛期を過ぎていた程ですし・・・。だから、アコーディオンの調律について学ぶ場合に、理屈は後にして、先ず多くの支持を集めてきたものの実体を確かめるのが早道ではないかと思うのです。

ところで余談ですが、アマチュアながら普段チェロやフルート、あるいは歌や編曲などで音楽に参加している自分の感覚は、演奏時には「固定ド」で音を取りながらも、本質は「移動ド」で音程を感じているように思われます。これは計算上はかなりの補正が必要な筈ですが、一体どうしてこのようなことが起こるのだろうか。一方、弦楽合奏のヴィブラートを含む雑多な音や、音色としてシャラシャラ鳴るように聞こえるミュゼット音からさえ、「単一の音程」を聞き取ってしまう耳の不思議さも感じていますので、そこにはアコとしての一定の調律法が歴史的に、あるいはブランド別に密かに確立されているのではないかと思うわけで、その答えが果たして「平均律だ」と一言で片付けられる話なのかどうかについて強い関心が有るわけです。このようなややこしい話をここに書いている理由は、川井さんには頑張ってそれらの背景も把握してきて欲しいなぁとの期待からです。

まぁ、言い換えれば、楽器音の相手が人間の耳であり、心であるだけに、メーカーにとっては社外秘の味付け部分としてトップシークレットに属する「文化的遺産」があるのではないかとさえ思ったりしますが、これを単なる妄想ということでは片付けたくないのです。長文失礼しました。

 訂正:前書き込み「re:調律&アコ文化論」中「一億総薄知化」は、「一億総白痴化」の誤りです。白痴なIMEに免じてお許しを(^^;。
 

ゼロビートの再発見  投稿者:ZEN@北海道  投稿日: 8月31日(木)08時06分23秒
  その本わたくしも持ってますっ

本編と技術編の2冊があって、技術編のほうを読むと実際の古典調律
ベルクマイスターや中全音キルンベルガーの音の取り方がわかります

筆者はビート(うなり)の少ない調律がよい調律ととらえているよう
ですが、現代人の耳には平均律のほうが美しいと感じる人が多い、と
いう統計もあるようです

チェンバロなどの古典的な鍵盤楽器では古典調律、特にオルガンでは
中全音で調律される例も少なくないようです。

アコーデオンの左手のストラデラシステムを考えると、どの音も同等
に扱う平均律が便利で、不均等な古典調律ではムリかなと思います。
 

平均率と古典調律  投稿者:ろばの耳  投稿日: 8月31日(木)07時25分24秒
  参考書がありますので言いだしっぺとしてご紹介します。

○先ず調律実務のためのには次の一冊が必読書としてお勧めですが、ネット検索したら絶版になっていますので図書館かな? >ZENさん へるぷ!

・ピアノ調律と関連技術
  ウイリアム・ホワイト著 全国ピアノ技術者協会訳 音楽之友社

○読みやすい解説書
・ピアノ常識入門
  北村恒二 著 発行 ムジカノーヴァ / 発売 音楽之友社
         ISBN4-943945-08-2

○今回のテーマに直結する必読書(復刊本)
これは川井さんにはメーカーと突っ込んだ話をされる上でも是非一度は読んで頂きたい本です。
ここではピアノ中心に述べられていますが、ピアノは減衰音を特徴とするのに対してアコーディオンは持続音を扱うため、音律とビート障害の課題についてはキチンと捉えておく必要があると思います。パイプオルガンへの適用例などが参考になると思います。

・ゼロ・ビートの再発見 復刻版 平均率への疑問と古典音律を巡って
 平島達司 著 (株)ショパン  ISBN4-88364-178-3
 

re:調律&アコ文化論  投稿者:ろばの耳  投稿日: 8月31日(木)06時45分48秒
  川井さん
あはは、立て板に水で全く相槌を打つにも隙がありません(^o^)。

思うに、幼児が無邪気に鼻歌を歌い音楽に合わせて手足を動かす、あのような自然な所作は成長と共に失われていきますが、それは何故なのでしょう?もしも日本の子供に固有の特徴的な変化が有るとすれば、どうやらこれは回りを見ながらそれに合わせて生きようとするわが民族性との関わりが疑われるところです。

うたごえ運動の説明がありましたが、僕はもっと別のところにルーツを求めたいと思います。例えば、昭和20年代の小中学生向けの雑誌の付録として「愛唱歌集」が発行されることが多かったし、先日亡くなった川田正子さんらの少女歌手が沢山生まれた時期がありました。

もっと遡ると文部省唱歌が初等教育で導入されるなど音楽が教育の中で取り上げられて来たことに行き着くように思います。これは行政による過度の介入など一部に問題なしとしませんが、こうしてアイルランド民謡の導入などを通じて無国籍化が進む一方で、そのような下地があったからこそ多くの人が何のてらいもなく外国の歌も共有し、100歳の老人までもが「埴生の宿」を懐かしく感ずるような国民性が生まれたように思います。それがうたごえ運動の根っこにあったのだと思います。

僕は、母がくちずさむ「トセリやトスティのセレナーデ」、「君よ知るや南の国」、「四つ葉のクローバ」などを聞きながら育ちましたが、1930年代にはそれらが少なくとも母達の歌になるような教育があったということに驚きを感ずると共に、我が日本人がものごとを何事も固定的に捉える/カタログデータ化して捉えてしまう習癖があるの感じますが、もっと弾力的にありたいものです。

テレビが普及を見せ始めたときに大宅壮一が「一億総薄知化」と切り捨てたことが有りましたが、大衆音楽の流行や分化もテレビが作るようになって久しいように思います。しかし、人々の根っこを結ぶ音楽があるに違いない、それは何時でも何処でもアコでつなぐことが出来るに違いない、そのような思いがあります。

幼児期に体の奥深いところで羽ばたくのを止められてしまったかも知れないもの、そのようなものがアコを抱えたときに/アコの音楽を聞いたときに出てきてもらえると嬉しいですが、僕はアコにそういう作用を期待しています。

ちょっと話題が逸れて恐縮ですが、復刊呼びかけ中の「アコーディオン」は、民族音楽との融合、科学技術の発展との関連、音楽ジャンルのボーダレス現象など優れた視点からのとらえ方がユニークで感心しましたが、出来れば発行後10数年間に起こったインターネット環境下での日本の音楽事情やアコ事情、出来ればJAAの活動やここAkkordeonの紹介も含む形で加筆発行して頂けると嬉しいとな思いながら1票を投じたのでした。
 

Back Number 117